カーターは、自身の代表的なギター作品の "Wildwood Flower" を、オリジナルの1928年のバージョンを手始めに何度も録音した。オリジナル・カーター・ファミリーと1930年に録音した"The Cannon Ball" は親指でベースを弾くカーターのフィンガーピッキングの良い例示である。彼女の最後のスライド・ギター・スタイルは1931年の "My Old Cottage Home" である。デッカ向けに録音した "Caol Miner's Blues" は素晴らしいフラットピッキングの実例である[13][9]。カーター・シスターズとのレコーディングでのカーターによる興味深いギターの使い方としては、"Fourteen Karat Nothing"、"I'm Working on a Building"、"Take Good Care of Him"、"Waves on the Sea" の速いテンポの再録音、 "I'll be All Smiles Tonight" での現代的なサウンドの改訂版などがある。カーターは、自身のソロ・レコーディングでもギターを演奏した。
録音された初期のカントリー・ミュージックではオートハープはあまり目立っていない。オリジナル・カーター・ファミリーではこの楽器をしばしリズムに使用していたが、メイベルの従姉でバンドメンバーのサラ・カーターが自身の複雑なスタイルで演奏していた[11]。オートハープが現在カントリーやルーツ・ミュージックで演奏されているのには、その人気においてメイベル・カーターが関わっているref>Green, D. (1976). Sara & Maybelle Together at Maces Springs. Country News</ref>。実際、オートハープはメイベルの最初の楽器だった。遅くとも4歳の時にはこの楽器をいじっていたが、1940年ごろまえでは真剣に向き合っていなかった[16]。
メイベル・カーターはニューポート・フォーク・フェスティバルでのいろいろな出演と併せて、少なくとも一つのオートハープ演奏のワークショップで教えている[21]。ワークショップの進行役は、1950年ごろにコロムビア・レコードでカーター・シスターズ・アンド・マザー・メイベルが録音した "Fair and Tender Ladies" を参照して、メイベルが商業録音で収録された最初の指でつまむオートハープのソロでクレジットされるべきだと述べた[22]。カーターはそのグループでしばしばオートハープを演奏していた。その他の例としては、カーターが死去する前にファミリーの最終アルバム収録の "Mountain Lady" に追加した、シンプルだが感動的なソロがある。オートハープの演奏をフィーチャーしたカーター・シスターズとのレコーディングに加えて、メイベル・カーターはしばしば自身のソロ作品でもこの楽器を採用した。事実、カーターの最初のソロ・アルバムでは、セッションのために特別に「仕上げた」と主張する古いフィドル曲の "Liberty" を提示した[22][23]。後に、スマッシュ・レコードは数人のバック・ミュージシャンとスティーヴン・スコット・シンガーズの絶妙なバックグラウンド・ボーカルが含まれた、メイベル・カーターのオートハープ・ソロの美しく制作されたアルバムを発売した。他の10曲とともに "Green Valley Waltz" と "Barbara Allen" が収録されている。カーターの最後のソロ・アルバム(1973年)は、スタジオ・ミュージシャンのフル・バンドを従えたオートハープ・ソロで大部分が構成されている[23][15]。
マザー・メイベルは自分が生み出した新鮮なサウンドを求める他のアーティストとのスタジオワークを頻繁に行っていた。カーターはジョニー&ジャックと少なくとも2曲と、ウィルバーン・ブラザースとも少なくとも2曲を録音している。後者のコラボレーションでは(メイベル・カーターはクレジットされていないが)"Go Away with Me" がトップ10ヒットとなた。カール・スミスのゴスペル・アルバム "Sunday Down South" でオートハープを演奏した。フラット&スクラッグスとの同じような組み合わせで、メイベルが全体にオートハープの演奏で貢献したアルバム "Songs of the Famous Carter Family" が制作された。1960年代にメイベルは通信販売チェーンを通じてオートハープとともに売られるインストゥルメンタル・レコードの録音を手伝った。カーターは楽器のデモンストレーションと少量のセリフを提供している[15][23]。
二人は1937年に普通とは異なるコール・アンド・レスポンスのボーカルアレンジで二人の声を対等に扱った "Hello Stranger" のデュエットを録音した。メイベルは、グループの1940年の "I'll Never Forsake You" のレコーディングで、すべてのヴァースの歌いだしのフレーズを歌った。グループの最後の商業レコーディングセッションでは、メイベルの声が "Why Do You Cry Little Darling"、"You Tied a Love Knot in My Heart"、"You're Gonna be Sorry You let Me Down" と言った曲ではサラの声に対してわずかに支配的だった。ラジオ番組では、メイベルがリード・パートを歌うことは滅多になかったが、ときどきソロで演奏したり歌ったりしていた。1960年代の半ばから1970年代の前半にかけて、メイベルとサラは定期的に再会し、個人的な出演やテレビの仕事をしていた。二人はこの時期にもコロムビアのアルバムを録音していた[15][13][11]。
メイベルはRCAでレコーディングした"My Darling's Home at Last"、"Why do You Weep Dear Willow"、"Walk a Little Closer"、"Don't Wait"、 and "I've Got a Home up in Glory"といった何曲もでリード・パートを歌った。メイベルがフィーチャーされたこの時代のより人気のあるレコードは "Someone's Last Day" だった。ラジオの書き起こしでは司会者は「彼女は他の誰よりも多くのリクエストを受けている」と述べている[15]。カーター・シスターズが書き、歌い、そしてグループの最初のRCAでの78回転レコードとして録音した別の非常に人気のある曲は “The Kneeling Drunkards Plea” だった。KWTOの書き起こしでは司会者はこの曲を「さて、皆さんはカードや手紙などの郵便物でで私たちにとてもよくしてくれました。友達、そして非常に多くの友達がアニタに次の曲をやってくれるように頼んだのでいますぐそれに応えます、 “The Kneeling Drunkards Plea” 」と紹介している。この曲はアニタがリード・パートを歌い、コーラス・パートでは三姉妹が美しい姉妹のハーモニーを歌うことで、彼女たちの「パーソナル」でファンのお気に入りだった。1950年代の前半までにグループはコロムビア・レーベルに移籍した。この時代、メイベルが1つの曲のヴァースを歌い、娘たちがほかの曲を歌うことが頻繁にあった。この時代の最も人気のあるレコードは片面が "Fair and Tender Ladies" で、もう片面が "Foggy Mountain Top" を収録したシングルだった[25]。
1960年代前半にメイベルと娘たちのグループ(この時にはシンプルに「カーター・ファミリー」と呼ばれていた)はリバティー・レーベルに移籍し、1枚のアルバムと、少なくとも1枚のシングルを作った。その後すぐにグループはコロムビアに戻り、メイベルの生涯を通じて契約を維持した。グループの大成功を収めたレコードがコロムビアからリリースされた。この間にボーカルのソリストとしてのメイベルの役割は減少したが、これらのレコードで多くのハーモニーを歌い、定期的に曲全体か、曲の中のヴァースを歌っていた。レイとしてはグループのアルバム The Country Albmu 収録の "Homestead on the Farm"やコンピレーションアルバム Three Generations 収録の "Picture on the Wall"、Keep on the Sunny Side 収録の「永遠の絆」の特に永続的な演奏などがある[15]。
ソロとして
メイベルを筆頭にフィーチャーした最初の商業録音はブライヤー・レーベルからのアルバム "Mother Maybelee Carter" だった。1959年に録音されたが、2年後まで発売されなかった[26]。メイベルは娘のヘレンとアニタにバッキング・ボーカルとして手助けを求めた。グループのメンバーはさまざまなソロ録音で他の家族をしばしば活用していた。このアルバムから数枚のシングルがリリースされた。その後、このアルバムを少し編集したバージョンがカップ・レーベル(Kapp)から "Queen of the Autoharp" のタイトルで後にリリースされた。この取引はより確実な配給を提供した。メイベルは "Sweeter than the Flowers" や "My Native Home" などのいくつかの興味深いセレクションで歌った。誰かが何曲かでリバーブをかけたエレキギターでのカーター・スクラッチを加えることを思い付いた。この奇妙なエフェクトはある種の「カーター・ファミリー・ビーチ・ミュージック」サウンドといったものだった。メイベルはその他のボーカル・パフォーマンスと、何曲かの興味深いインストゥルメンタルでアルバムを満たした[15][23][11]。
1960年代初頭から中盤にかけて、メイベル・カーターのソロ作品はマーキュリー・レコードで録音され、傘下のレーベルであるスマッシュ・アンド・カンバーランドからリリースされた。アルバム3枚と、アルバム未収録の1枚のシングルがある。これらのレコーディングの代表的なソロ・ボーカルとしては "Faded Coat of Blue"、"Flowers Blooming in the Wildwood"、"Nobody's Darling on Earth" などがある。シングル盤 "Strumming My Guitaro" ではメイベルのギタローという新しいオートハープ風の楽器演奏がフィーチャーされている。最後に、アルバムからカットされた "Foggy Mountain Top" は、メイベルが自身のバンジョー伴奏で歌った唯一の商業録音であることで際立っている[15][14]。
1960年代後半までに、メイベル・カーターと家族全員がコロムビアと再契約していた。その後すぐにレーベルはメイベルのもう一枚のソロ・アルバム "Living Legend" をリリースした。このアルバムからのボーカルの例としては "Give Me Your Love and I'll Give You Mine"、"We All Miss You Joe"、"A Letter from Home" などがある。アルバムからの1枚のシングル "I Told them What You were Fighting For" はチャートで多少ヒットした[15][14][11]。上述のインストゥルメンタルの2枚組アルバムもリリースされた。
他のアーティストとのコラボレーション
カーター・ファミリーの一員としても、ソロ・ミュージシャンとしても、メイベルは他のアーティストのレコーディングのゲストとして歌ったり演奏したりした。何度もクレジットされないことがあった。この方面で最も商業的に成功した事例は、1970年代初頭のニッティー・グリッティー・ダート・バンドのアルバム『永遠の絆』でのコラボレーションである。メイベルはセッションの合間の会話を提供している。また、「キープ・オン・ザ・サニー・サイド」と「今宵、君に泣く」ではリード・ボーカルとギター演奏を、「ワイルドウッド・フラワー」ではリード・ボーカルとオートハープの演奏を提供している。アルバムタイトル曲では曲を通して演奏し、第1ヴァースで歌っている。このアルバムでのパフォーマンスでグラミー賞にノミネートされ、自身唯一となるゴールドディスク認定を受けた。アルバムは商業的に成功をおさめ、カントリーチャートでは最高4位となり、ポップチャートでも目を見張るものがあった。最終的にプラチナ認定された。メイベルとジョニー・キャッシュは1973年にトップ40入りのヒットをリリースした。"Pick the Wildwood Flower" ではメイベルのギター演奏と短いダイアログがフィーチャーされている。シングルのB面の "Diamonds in the Rough" はメイベルのギター伴奏でのボーカルデュエットである[23][11]。
インタビューの中でメイベルは、オリジナル・カーター・ファミリーのカタログに関しては、ほとんどの曲がA.P.カーターによって書かれたか収集されたと述べている。自身とサラ・カーターがいくつかのタイトルでA.P.に協力したが、通常はレコードのラベルや著作権申請書にはクレジットされていなとも付け加えた[6]。その一例が、A.P.カーターの功績が広く認められているカーター・ファミリーの名曲 "You Are My Flower" である。サラ・カーターが同席したインタビューの中で、メイベルは自身とサラが "The Grass is Just as Green" と題されて印刷された言葉だか詩を見つけ、 "You Are My Flower" の歌詞が生まれたと主張した。彼女は二人が印刷された単語のシートを使ってその曲の歌詞を「拾い上げて、まとめ上げた」と述べている。次に、メイベルは、自分が菓子に合わせてオリジナルの曲を書いたと主張している[30]。近年、カーター・ファミリーの曲の中にはメンバー3人がクレジットされているものがあると言うのは、興味深い傾向である[15]。
メイベル・カーターの「歌の鍛冶」のカタログ曲の例としては "Fair and Tender Ladies"、"Kneeling Drunkard's Plea"、"I've Got a Home up in Glory"、"Just You and I"、"Troublesome Waters"、"Letter from Home" など数十曲が挙げられる。近年、メイベル・カーターのタイトルの一つである "In the Highways" が映画『オー・ブラザー!』の数百万枚の売り上げをほこるサウンドトラックに登場し、これとは別に "Jukebox Blues" (娘のヘレン・カーターとの共作)が映画『ウォーク・ザ・ライン/君につづく道』で使用された[15]。
カーター・ファミリー(メイベル、ヘレン、ジューン、アニタ)はアメリカン・ミュージック・アウォードから1973年に "Favorite Country Group" のトロフィーを受け取った。翌年にメイベルはナッシュビルで行われたファン・フェアで国際ファンクラブ組織から第一回テックス・リッター賞で単独で表彰された[28][11]。
1979年にメイベル・カーターの死後にCBSネットワークは "The Unbroken Circle: A Tribute to Maybelle Carter" と題した特別番組を放送した。翌年にメイベルと娘たちはミュージック・シティ・ニューズ・カバー・アウォード・ショウから "Gospel Act of the Year" を送られた。メイベルは1986年にフレッツ・マガジンアコースティック・パイオニア賞を授与した[34]。
1993年、カーター・ファミリーを讃える米国郵便切手に彼女の姿が描かれた。2002年にメイベルは「CMTの40人のカントリー・ミュージックの偉大な女性たち」のNo.8 に列せられた。2005年、メイベルはジョニー・キャッシュの伝記映画『ウォーク・ザ・ライン/君につづく道』の中でサンドラ・エリス・ラファティによって演じられた。女優のフランセス・コンロイが2013年のテレビ映画 "Ring of Fire" で彼女を演じた[37] Carter has also been depicted in musicals such as "Keep on the Sunny Side and "Wildwood Flowers: The June Carter Story" by actresses and singers such as Joy Lynn White, Gina Stewart and Teresa Williams [38]。
メイベルは孫娘のカーリーン・カーター(英語版)の1990年の曲 "Me and the Wildwood Rose" の主題だった。彼女の死はジョニー・キャッシュの曲 "Tears in the Holston River" の主題となった。メイベル・カーターについての数多くのトリビュート・ソングが書かれ、レコーディングされた[15]。
^Cash, John Carter. Anchored in Love: An Intimate Portrait of June Carter Cash (Nashville, TN: Thomas Nelson Publishers, 2007), 10.
^George-Warren, Holly (1997). "Hillbilly Fillies: The Trailblazers of C&W" quoted in Reddington, Helen (2007). The Lost Women of Rock Music, p.179. ISBN0-7546-5773-6.
^Interview with Anita Carter (date?) from Campbell, A. Yesteryear in Nashville
^Transcription of Ash Grove Concerts by Maybelle Carter (1963). Ash Grove, Hollywood CA
^Carter, J. (1983). Living With Memories. Carter Family Memorial Music Center
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^ abSeeger, M. & Kahn, E. (1963). Interview with Sara Carter, Maybelle Carter & Coy Bayes. in In the Shadow of Clinch Mountain. (2000). Bear Family Records [sound recording]
^Interview with Sara Carter, Maybelle Carter & Coy Bayes. in In the Shadow of Clinch Mountain. (2000). Bear Family Records [sound recording]
^Transcription of A. P. Carter Concert appearance in 1954 issued as "A. P. Carter & the Phipps Family. (nd). Mountain Eagle Recording Company
^Anonymous. (1966). DJ Convention Ends on Happy Note. Music City News, 4(5)
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Zwonitzer, Mark with Charles Hirshberg. (2002). Will You Miss Me When I'm Gone?: The Carter Family and Their Legacy in American Music. New York: Simon & Schuster.