ヨハン・オラフ・コス
ヨハン・オラフ・コス(Johann Olav Koss、1968年10月29日 - )は、ノルウェーのブスケルー県ドランメン出身の元スピードスケート選手。後に指導者となり、1990年代前半に国際大会で活躍した。愛称はコス・ザ・ボス (Koss the Boss) 。 プロフィールコスは1987年にノルウェーのジュニアチャンピオンとなったが、1986年と1987年の世界ジュニア選手権では世界のトップ選手と競うことが出来なかった。 1988年の世界オールラウンドスピードスケート選手権(アルマトイ・メデオ)に初出場したが予選で敗退した。 翌1989年地元オスロで開催された世界オールラウンド選手権では1500mで2位となり総合8位になった。1990年の同大会で初優勝すると1991年に連覇を果たした。 1992年アルベールビルオリンピックでは脾臓の炎症の手術を受けて5日後に5000mで7位、その3日後1500mでは金メダルを獲得、さらに10000mで銀メダルを獲得した。 1994年、コスは自国開催のリレハンメルオリンピックにおいて出場した1500m、5000m、10000mですべて世界新記録を出して3冠、スケート人生の有終の美を飾った。同年、スポーツイラストレイテッド誌選定の年間最優秀選手にボニー・ブレアとともに選ばれた。 現役引退後はオーストラリアのクイーンズランド大学で学び[1]、後にユニセフ大使となったほか1998年から2002年まで国際オリンピック委員会のメンバーを務めた。 コスは現在、カナダに本拠を置く国際人道機関Right To PlayのCEOを務めている。Right To Playはスポーツを通して世界の恵まれない子供たちを支援する活動を行っており64人のスタッフと90人のボランティアが働いている[2]。 2009年11月、コスはノルウェーナショナルチームのピーター・ミューラーヘッドコーチが舌禍問題で解任された後を受け、指導歴が無いのにもかかわらずヘッドコーチに就任した。 記録世界記録
自己ベスト
脚注出典 |