ラファエル・ヴィニオリ・ベセイロ (Rafael Viñoly Beceiro、1944年 6月1日 - 2023年 3月2日 )は、ウルグアイ ・モンテビデオ 生まれ、アルゼンチン 育ち、アメリカ合衆国 ・ニューヨーク 拠点の建築家 。
経歴
映画・劇場演出家 の父と数学教師の母の間に生まれる。ブエノスアイレス大学 で、1968年に建築の学位と1969年には建築・都市計画学部で修士を修了。
1964年に、6人の仲間と建築設計事務所 を設立。この事務所は後に、短期間に多くの目立った仕事をこなす南米で最大の建築事務所となった。
1978年に、家族と共にアメリカ合衆国に移住。短期間だがハーバード大学設計大学院 で客員講師 を務め、1979年にニューヨークに居を落ち着けた。
1983年に、ラファエル・ヴィニオリ建築事務所を設立。ニューヨークでの最初のプロジェクトは、ジョン・ジェイ法科大学 で、1988年に竣工。1989年には東京国際フォーラム の国際公開コンペで採用、1996年に竣工した。ヴィニオリ建築事務所は、ニューヨークのワールド・トレード・センター 再建設計コンペでも最終候補に残った。
40年以上のキャリアの中、ヴィニオリはアメリカ合衆国、中南米、ヨーロッパ、アジア、アフリカ、中近東での建築を手がけた。近年、ヴィニオリ建築事務所は急成長を遂げ、ロンドン とロサンゼルス に支店を持ち、アブダビ 、ドバイ 、バーレーン などでも現場事務所を持つ。
2010年にヴィニオリの設計で建築されたラスベガス のホテル「ヴィダーラ 」において、ホテルの一面が凹面をしていることで、その面のガラスで反射された光がプール周辺に集まり高温になる事件が報じられた。同様に、2013年のロンドンでも、ヴィニオリによって設計された20フェンチャーチ・ストリート で同じように凹面のガラスの反射で駐車中の車が溶ける事件が報じられた。
ヴィニオリはアメリカ建築学会フェロー、王立英国建築家協会国際フェロー、日本建築家協会 会員、アルゼンチン建築家協会会員であった。
2023年3月2日、ニューヨークにて死去[ 1] 。78歳没。
受賞・栄典
2007年 サルバドーリ・センター 設計賞
2006年 王立英国建築家協会 国際フェロー
2004年 クーパー・ヒューイット国立デザイン博物館 ナショナル・デザイン賞
1997年 メリーランド大学 名誉博士
1995年 アメリカ建築学会 ニューヨーク市区 名誉メダル
1994年 ナショナル・アカデミー(アメリカ合衆国) 会員
主な仕事
竣工物件
東京国際フォーラム
脚注
参考文献
Rafael Viñoly, Rafael Viñoly, ISBN 1-56898-373-5
Hilary Lewis and Roman Viñoly, THINK NEW YORK A Ground Zero Diary ISBN 1920744-74-6
外部リンク