ランス・フォン・エリック
ランス・フォン・エリック(Lance Von Erich、本名:William Kevin Vaughn、1960年4月24日[1] - )は、アメリカ合衆国の元プロレスラー。テキサス州アーリントン出身[1]。生年は1959年ともされる[3]。 フリッツ・フォン・エリックのギミック上の弟だったワルドー・フォン・エリックの息子と称し、ケビン・フォン・エリックやケリー・フォン・エリックの「従兄弟」という設定のもと、甘いマスクと筋肉美を持つベビーフェイスとして活動した(実際には、ワルドーおよびフォン・エリック・ファミリーとの血縁関係はない)[2]。 来歴同じくボディビルダーだったビリー・ジャック・ヘインズにスカウトされ、1985年2月に太平洋岸北西部のパシフィック・ノースウエスト・レスリングにてデビュー[1](デビュー年は1984年ともされる[3])。リッキー・ヴォーン(Ricky Vaughn)をリングネームに、1985年5月11日にヘインズと組んでケンドー・ナガサキ&メガ・マハリシからNWAパシフィック・ノースウエスト・タッグ王座を奪取[4]。8月3日にはトーナメントの決勝でマイク・ミラーを破り、同地区のフラッグシップ・タイトルだったNWAパシフィック・ノースウエスト・ヘビー級王座を獲得、11月9日にボビー・ジャガーズに敗れるまで保持した[5]。 同王座戴冠中、フリッツ・フォン・エリックが主宰していたテキサス州ダラスのWCCWに、ランス・フォン・エリック(Lance Von Erich)と名乗って登場。10月28日にフォートワースにて、リック・フレアーのNWA世界ヘビー級王座に挑戦した[6]。パシフィック・ノースウエスト・ヘビー級王座陥落後の11月11日より本格的にWCCWに参戦し[6]、ケビン、ケリー、マイク・フォン・エリックらの従兄弟として活動[2]。以降、フォン・エリック・ファミリーの一員となって、団体名がWCWAと改称された翌1986年は、ファビュラス・フリーバーズ、ワンマン・ギャング、リック・ルード、ザ・グレート・カブキ、ブラックジャック・マリガンなどのヒール勢と抗争[7]、ブルーザー・ブロディともタッグを組んだ[8]。1986年3月24日、バディ・ロバーツを下してTV王座を獲得[9]。5月4日にはケビン&ケリーとのトリオでフリーバーズからWCWA世界6人タッグ王座を奪取した[10]。 1986年は、当時WCWAと提携していた新日本プロレスに来日し、10月9日に両国国技館で開催されたイベント『INOKI闘魂LIVE パート1』にて木村健吾と対戦したが[11]、低調な試合ぶりで実力不足を露呈した(同月13日開幕のシリーズにも継続参戦する予定だったが、心臓疾患を起こして帰国したとされる)[1]。帰国後の11月17日、ディンゴ・ウォリアーこと後のアルティメット・ウォリアーと組んで、マット・ボーン&ジョージ・ウェルズを破りWCWA世界タッグ王座を獲得している[12]。 1987年下期にWCWAを離脱し、ファビュラス・ランス(The Fabulous Lance)とリングネームを変更して、WCWAの対抗勢力として旗揚げされたケン・マンテル主宰の新団体ワイルド・ウエスト・レスリングに参戦[2][8]。その際、フリッツ・フォン・エリックはTVにて、彼が本当のファミリーではなかったことを暴露した[2]。ワイルド・ウエスト・レスリングにはビル・アーウィン、キング・パーソンズ、ブライアン・アディアス、ジョン・テータムなども出場していたが、同年に活動を停止[13]。その後はカルロス・コロンが主宰するプエルトリコのWWCに登場、アブドーラ・ザ・ブッチャーとも対戦した[2]。 以降はリングから離れていたが、1993年5月7日、再びランス・フォン・エリックと名乗ってニューヨークのインディー団体に出場し、グレッグ・バレンタインと対戦[14]。同年12月にはインド、翌1994年7月には南アフリカに遠征、1996年3月にはマレーシアにてジム・ナイドハートやバンパイア・ウォリアーと対戦した[8]。 得意技獲得タイトル
脚注
外部リンク
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