ラヴ・オーヴァー・ゴールド
『ラヴ・オーヴァー・ゴールド』(Love Over Gold)は、イギリスのロック・バンド、ダイアー・ストレイツが1982年に発表した4作目のスタジオ・アルバム。1980年のツアーより加入した新メンバーのハル・リンデスとアラン・クラークが初参加したアルバムである。 背景「テレグラフ・ロード」のタイトルは、アメリカの国道24号線のうちミシガン州を走る部分の別名に由来しており[10]、マーク・ノップラーはツアー・バスでテレグラフ・ロードを通った体験と、クヌート・ハムスンの小説『土の恵み』にインスパイアされてこの曲を作った[11]。 本作が制作されていた頃、ノップラーは女性視点の曲「プライヴェート・ダンサー」も完成させていたが、最終的には自分でこの曲を歌うことに難色を示し、ティナ・ターナーのアルバム『プライヴェート・ダンサー』(1984年)に提供した[12]。なお、ターナーのヴァージョンのレコーディングには、ノップラーを除くダイアー・ストレイツのメンバーが参加し、ノップラーの代わりにジェフ・ベックがギターを弾いている[12]。 本作のレコーディングには、ジャズ・ミュージシャンのマイク・マイニエリがゲスト参加した。なお、ノップラーはマイニエリのアルバム『Wanderlust』(1981年)を聴いて、同アルバムの制作に関与したニール・ドーフスマンに興味を抱き[13]、本作でドーフスマンをレコーディング・エンジニアに起用した後、アルバム『ブラザーズ・イン・アームス』(1985年)では共同プロデューサーに迎えている[14]。 本作のレコーディングを最後に、オリジナル・メンバーの一人ピック・ウィザースがバンドを脱退[15]。そして、元ロックパイルのテリー・ウィリアムズが後任ドラマーとして加入した[16]。 反響母国イギリスでは、本作からの先行シングル「哀しみのダイアリー」が全英シングルチャートで2位を記録し、バンド初の全英トップ5シングルとなる[17]。そして、本作は全英アルバムチャートで4週にわたり1位を獲得し、200週チャート圏内に入った[1]。 ニュージーランドのアルバム・チャートでは27週連続でトップ10入りし、そのうち12週にわたって1位を獲得する大ヒットとなった[4]。その後も度々チャート圏内に再浮上して、1986年6月にも2週トップ10入りしている[4]。オランダのアルバム・チャートでは6週[3]、ノルウェーのアルバム・チャートでは5週にわたり1位を獲得した[5]。 アメリカでは本作がBillboard 200で19位に達し[8]、1986年4月にはRIAAによってゴールドディスクに認定された[18]。また、アメリカでは「公害病」がシングル・カットされ、総合シングル・チャートのBillboard Hot 100で75位、『ビルボード』のメインストリーム・ロック・チャートでは9位を記録した[8]。 日本では、『コミュニケ』(1979年)以来となるオリコンLPチャートのトップ100入りを果たしている[9]。 評価Stephen Thomas Erlewineはオールミュージックにおいて5点満点中4点を付け「14分に及ぶオープニング曲"Telegraph Road"を含む5曲しか収録されておらず、ある意味、彼らのプログ・ロック的な試みといえるアルバム」と評している[19]。また、デヴィッド・フリックは『ローリング・ストーン』誌のレビューで5点満点中4点を付け「殆どのポップ・ミュージックが製品とみなされている時代にあって、『ラヴ・オーヴァー・ゴールド』は敢えて、エアプレイよりも芸術性を優先した」と評している[20]。 収録曲全曲ともマーク・ノップラー作。
他メディアでの使用例ビル・フォーサイスが監督した1983年のイギリス映画『アイスクリーム・コネクション』では、マーク・ノップラーがサウンドトラックを制作し、「テレグラフ・ロード」と「哀しみのダイアリー」といった本作からの曲も流用された[21]。なお、フォーサイスは同作について「『ラヴ・オーヴァー・ゴールド』のトーンを反映してみた」と説明している[21]。 参加ミュージシャンアディショナル・ミュージシャン 脚注・出典
|