1852年にハー・マジェスティーズ劇場のコール・ド・バレエメンバーになった。翌年にはヘイマーケット劇場で上演されたパントマイム『ハーレクィンと3頭のクマ、またはリトル・シルヴァーヘアと妖精たち』(Harlequin and the Three Bears, or, Little Silverhair and the Fairies) でソロであるリトル・シルヴァーヘアの役を演じた[2]。1854年にはトンプソンはジェイムズ・プランシェ作のエクストラヴァガンザである『ミスター・バックストーンの世界一周旅行』 (Mr Buckstone's Voyage Round the Globe) に出演した[2]。同年にセント・ジェイムズ劇場でトマス・セルビー作のバーレッタ(喜歌劇)である『スペインのダンサー』 (The Spanish Dancers) に出演して有名なダンサーであるセニョーラ・ペレア・ナナの真似をし、広く注目を集めるようになった[2]。『タイムズ』はこの演目を全く評価していないが、トンプソンのパフォーマンスを称賛し、以下のように述べている。「これはバーレスクというわけではなかった。ある素晴らしいダンサーがまた別の素晴らしいダンサーを踏襲し、模範となる対象の息吹をつかみ、大胆な動きで向こうを張るといったものであった。ミス・トンプソンの若さと美しさはアンダルシアの妙技にさらなる花を添えた[5]」。クリスマスにはヘイマーケット座でパントマイム『小さなボー・ビープ、またはハーレクィンと羊をなくした少女』 (Little Bo Peep, or, Harlequin and the Girl who Lost her Sheep) に出演した[2]。
1859–60年冬のシーズンでは、セント・ジェイムズ劇場に戻って『キューピッドのはしご』 (Cupid's Ladder) や『白鳥の湖』風のエクストラヴァガンザである『白鳥とエドガー』(The Swan and Edgar) 、レスター・バッキンガムによるバーレスク『ヴァージナス』、バレエ笑劇『魔法の玩具』 (Magic Toys) 、『黒い目のスーザン』 (Black-Eyed Susan) などに出演した[8]。1860年にはダブリンのクイーンズ劇場で『魔法の玩具』に出演して人気を博した[4][9]。1861年にはエドマンド・ファルコナーの喜劇『女、または世に背く愛』 (Woman, or, Love Against the World) 初演でノラを、また『赤ずきん』 (Little Red Riding Hood) でブロンディネットを演じ、1862年にはディオン・ブーシコーの『うるわしの娘』(The Colleen Bawn) のバーレスク版であるウィリアム・ブラフの『うるわしの娘ついに落ちつく』 (The Colleen Bawn Settled at Last) にも出演した[4]。
トンプソンは1863年に馬術教師のジョン・クリスティアン・ティルベリーと結婚し、すぐに娘のゼフィが生まれた[10]。出産の数ヶ月後にはトンプソンは舞台に戻った[11]。ジョンは結婚の15か月後、1864年に固定障害競走の事故で亡くなった[4]。1864年、アレクサンダー・ヘンダーソン(1828年生–1886年没)が経営する、バーケンヘッドに新しくできた劇場であるシアター・ロイヤルのこけら落としでフランシス・バーナンドのバーレスク『イクシオン』初演のタイトルロールをつとめた[2]。その後、リヴァプールにあるプリンス・オヴ・ウェールズ劇場でヘンダーソンとともに公演を行い、スクワイア・バンクロフトやヘンリー・アーヴィングなどと共演した[2]。トンプソンはバーレスクの「主役の少年」を得意としており、「魅力的な外見で、歌もうまく、本当にあざやかなダンサーで、舞台に出ている時は場面に命を吹き込むような存在だった[12]」という。1866年から1868年にはドルリー・レイン劇場でレオ・ドリーブの『6名が夫求む』 (Wanted Husbands For Six /Six Demoiselles à marier) のソフォニスバを演じた他、『金襴の陣』 (The Field of the Cloth of Gold) のダーンリー役をつとめた[4]。『金襴の陣』はイギリスのバーレスク史上でも最大のヒット作となった[13]。
一方でブリティッシュ・ブロンズ一座の上演は19世紀の感覚からすると露骨に性的な要素を含んでいたため、批判も受けた。肌の色と同じタイツをはき、短いスカートを履き、異性装も行うショーガールたちのパフォーマンスはスキャンダラスなものと考えられ、ニューヨーク当局はスカートを長くするよう申し入れをした[20]。脚線美を見せるだけの猥褻で不自然なショーであるとしばしばメディアで批判された[21][22]。牧師などの保守的で敬虔な男性からは道徳的に問題視される一方、オリーヴ・ローガンなどのサフラジストは性の商品化を批判した[20]。ブリティッシュ・ブロンズ一座はグラマラスで肉感的なショーガールをそろえており、ほっそりした女性を美しいと見なしていた1860年代アメリカの美意識も逆撫でするものであった[23][24]。男装してイクシオンなどの役柄をパワフルに演じるトンプソンは、保守的な人々にとっては「「解放された」現代女性に関する恐怖[25]」を体現するような存在でもあった。『タイムズ』は一座のショーを「男性らしさのばかげたパロディ」と呼んだ[26]。『ニューヨーク・タイムズ』は常にバーレスクへの嫌悪を示しており、「イギリスのバーレスク退場」("Exit British Burlesque") という見出しでバーレスクの終演を願う記事を出したこともある[26]。最初は女性客もいたが、ニューヨークではあまりにも悪名が高くなりすぎたため中流階級や女性の観客がバーレスクを敬遠するようになり、ブリティッシュ・ブロンズ一座は街を離れてツアーに出ざるを得なくなった[26]。
トンプソンと一座は1874年にイングランドに帰国し、既にアメリカでヒット作となっていたH・B・ファーニーの『青髭』(Bluebeard)や同じくファーニーの『ロビンソン・クルーソー』、パントマイム『40人の盗賊』、ロバート・リースの『カルメン、あるいは歌で売られて』( Carmen, or, Sold for a Song) などに出演した[2]。『青髭』でのトンプソンの演技は『イラストレイテッド・スポーティング・アンド・ドラマティック・ニュース』で称賛され、トンプソンはひとたびは死にかけたジャンルであるバーレスクの救世主だと評された[4]。
1886年にヘンダーソンが死ぬと、トンプソンは再びニューヨークに赴き、さらに1888-1889年の冬のシーズンと1891年にもアメリカで公演を行った[2]。1887年にはロンドンのストランド劇場で自らマネジメントを手がけるようになり、コミックオペラ『モカのサルタン』 The Sultan of Mochaを上演した[2]。その後、フランスのヴォードヴィル・オペレッタである『バベット』(Babette, 1888)に出演したが、役に声があっていないと評された[4]。アメリカにおける最後の出演は1894年の『社会の皮』(The Crust of Society) で、助演をつとめた[2]。 1985年にはロンドンでジョージ・エドワーズのエドワード朝ミュージカルコメディ『画家のモデル』(An Artist's Model) に出演し、1899年5月2日のロンドンでの慈善興行ではウィリアム・S・ギルバートの『結婚行進曲』(The Wedding March) に顔を出した。ギルバートがトンプソンのために書いた韻文の「別れの挨拶」も朗唱したという[29]。最後の出演は1904年、ヴィクトル・ユゴーの『リュイ・ブラス』の翻案である『王妃のロマンス』(A Queen's Romance) で、アルバカーキ公爵夫人を演じた[30]。
^ abcdefghijklmnopqrsW. J. Lawrence, rev. J. Gilliland, "Thompson, Lydia (1838–1908)", Oxford Dictionary of National Biography, Oxford University Press, 2004; online edn, Jan 2008
^Desley Dean, "Cosmopolitans at Home: Judith Anderson and the American Aspirations of J. C. Williamson Stock Company Members, 1897-1918", Robert Dixon and Veronica Kelly, ed., Impact of the Modern: Vernacular Modernities in Australia 1870s-1960s, Sydney University Press, 2008, 202-222, p. 207.
Allen, Robert C. "Horrible Prettiness: A Cultural Analysis of ‘British Blondes’." Women in American Theatre. 3rd ed.
Baker, H. B. The London stage: its history and traditions from 1576 to 1888, 2 vols. (1889)
Dudden, Faye E. "The Rise of the Leg Show." Women in the American Theatre: Actresses and Audiences, 1790-1870. New Haven: Yale UP, 1994. 164-71. Print.
Gänzl, Kurt. Lydia Thompson: Queen of Burlesque, NY & London: Routledge (2002) ISBN0-415-93766-3
Gänzl, Kurt. The encyclopaedia of the musical theatre, 2nd edn, 3 vols. (2001) Schirmer Reference ISBN0-02-864970-2
Hollingshead, John. Gaiety Chronicles (1898) A. Constable & co.: London
Moses, Marlie. "Lydia Thompson and The ‘British Blondes’." Women in American Theatre. By Helen Krich Chinoy and Linda Walsh Jenkins. New York: Crown, 1981. 88-92. Print.
Scott, Clement. The drama of yesterday and today, 2 vols. (1899)