リン・チェイニー
リン・アン・ヴィンセント・チェイニー(英語: Lynne Ann Vincent Cheney ,1941年8月14日 - )は、アメリカ合衆国の文学者、著作家、政治討論番組の司会。第46代アメリカ合衆国副大統領ディック・チェイニーの妻でもある。2001年1月20日から2009年1月20日までアメリカ合衆国のセカンドレディの役割を担った。 生い立ちリン・アン・ヴィンセントは1941年8月14日にアメリカ合衆国のワイオミング州ハモントンにて出生した[1]。父親のウェイン・エドウィン・ヴィンセント(1915–1975)はエンジニアであり、母親のエドナ・ロリータ・ヴィンセント(1919–1973)は副保安官を務めた[2]。モルモン開拓者の子孫で祖先にはデンマーク人(Danes)、スウェーデン人、イングランド人、アイルランド人、ウェールズ人も含まれる[2][3]。長老派を信仰する家庭に育ったが、ディック・チェイニーと結婚した後はメソジストに改宗している[3]。 最初に学んだコロラドカレッジでは文学学士号と最高評価を獲得し、その後にコロラド大学ボルダー校では文学修士号を取得、ウィスコンシン大学では19世紀のイギリス文学を専門として文学博士号を取得した[4][5]。 経歴リンは1986年から1993年まで「全米人文科学基金」の会長を務めた[5]。1995年には高等教育改革専門のシンクタンク「アメリカ信託校友協議会」の共同設立者の1人となった[6]。 また、CNNの政治討論番組『クロスファイア』の共同司会を務めたこともあった[7]。 1995年以降はロッキード・マーティン社の取締役を務めたが、夫ディック・チェイニーのアメリカ合衆国副大統領就任直前の2001年1月5日に年間12万ドルの収入が見込めるこの役職を辞任する意思を表明した[8][9]。 セカンドレディアメリカ合衆国のセカンドレディとなったリンは暴力的で性的に露骨な内容の歌詞であるとしてヒップホップ界の大物エミネムらを繰り返し批判することで注目を浴びた[10]。彼女は同様のコンテンツを取り扱うコンピュータゲームメーカーに対しても強く抗議している[11]。 リンは国粋主義的な考えの持ち主でもある。カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)で策定された子供達の歴史学習のための国家基準について「アメリカがこれまで達成してきた偉業について十分に肯定的であるとは言えない」という理由で反対し、特に黒人女性で奴隷解放運動指導者であるハリエット・タブマンに関する記述が多過ぎるとして批判を展開した。このために、2004年夏にアメリカ合衆国教育省は小学生が国の歴史を学習するのを手助けするために保護者向けに発行された冊子30万冊以上を廃棄し、UCLAの基準に沿った記述が削除されることになった[12]。 家族リン・アン・ヴィンセントはディック・チェイニーと1964年8月29日に結婚式をあげた。夫婦は2人の娘をもうけている[13]。
著書リン·チェイニーは数冊の本の著者または共著者である。
演じた人物脚注
外部リンク
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