レオン・ゴーモン
レオン・ゴーモン(Léon Gaumont、1864年5月10日 - 1946年8月9日)は、フランスの発明家、実業家で、映画産業の先駆者であった。パリに生まれ、ヴァール県サン=マキシム (Sainte-Maxime) で没した。 経歴レオン・ゴーモンは、フランスの映画制作会社ゴーモンを興した人物であり、同社の起源は1895年7月に設立された L・ゴーモン社 (L. Gaumont et compagnie) において、ゴーモンが「写真の総合商会 (Comptoir général de photographie)」を謳って光学機器や写真を扱ったことに遡る。次いでゴーモンは、逆回転ができるカメラなどを含めた映写機や撮影カメラの製造や、ジョルジュ・ドゥメニーのクロノフォトグラフィ (Chronophotographie) の商業化に乗り出した。やがてゴーモンは映画製作に進出し、ゴーモンの女性秘書をしていたアリス・ギイを製作責任者に任命した。 1900年の時点で、ゴーモンは映画制作、上映館のネットワーク、そして配給体制を既に開発済みであった。この当時からゴーモンは、音声付きの映画や、色付きの映画にも関心を寄せていた。1911年、新設されたパリのゴーモン・パラス (Gaumont Palace) は、3,400人を収容できる世界最大の映画館となったが、後には更に改修されて6,000人を収容できる規模となった。 1930年、レオン・ゴーモンは会社の経営権を失い、1934年には破産をしてしまうが、1938年には、新たにゴーモン新社 (Société nouvelle des établissements Gaumont) を再建した。 レオン・ゴーモンは、1883年に建てられた館(シャトー)「Les Tourelles」を構えていたサン=マキシム にしばしば通っていた。この邸宅は、客をもてなすのに用いられたほか、映画の撮影にも用いられ、ルイ・フイヤード監督によって1916年にサン=マキシムで一部の映像が撮影された映画『Judex』にも使用された。 エスペラントの支持者であったゴーモンは、この国際言語を教えるための短編映画を制作し、1911年にアントウェルペンで開催された第7回世界エスペラント大会において上映した。 レオン・ゴーモンは、サン=マキシムで1946年に没し、パリのベルヴィル墓地 (cimetière de Belleville) に葬られた。その墓には、夫人(旧姓名:Camille Maillard、1859年 - 1933年)とともに、裁判官であったジル・ブールーク (Gilles Boulouque、1950年 - 1990年)、弁護士であったP・ブールークも一緒に収められている。 パリ20区には、レオン・ゴーモン通り (Avenue Léon-Gaumont) と名付けられた街路がある。 参考文献
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