レディアンジェラ (Lady Angela) はイギリス生産の競走馬、繁殖牝馬。競走馬としては振るわなかったが、繁殖牝馬としてカナダに輸出された後、1958年のカナダ年度代表馬であり、種牡馬としても7度カナダリーディングサイアーを獲得したニアークティックを出産した。ニアークティックの産駒の中には、カナダ産馬として初めてケンタッキーダービーを制し、種牡馬としても大成功を収めたノーザンダンサーがいる。
2010年、サラブレッドの血統に対する世界的な影響力を評価され、カナダ競馬名誉の殿堂に選出された。
生い立ち
レディアンジェラはイギリスの著名なブックメーカーで、馬産家でもあったマーティン・H・ベンソン(英語版)によって生産された。
父のハイペリオンは1933年のダービーステークス勝馬で、種牡馬としても6度イギリスのリーディングサイアーを獲得した実績を持つ。母のシスターサラはステークスレース勝馬を4頭輩出し、その牝系は1967年のムーランドロンシャン賞勝馬であるグレートネフューや2010年ダービーステークス・凱旋門賞勝馬であるワークフォースなどに繋がっている[1][2]。
戦績
生涯で11回レースに出走し、エプソム競馬場で1勝を挙げ[3]、4度2着に入った[4]。1948年に競走馬を引退。
繁殖牝馬時代
繁殖入り後、ネアルコとの種付けが数度行われた[5][6]。その後、カナダの実業家で馬生産者でもあったエドワード・プランケット・テイラーに10,500ギニーで購入された。またテイラーはレディアンジェラをカナダに輸出する前に、種付け料3,000ドルを追加で支払いネアルコとの種付けを行った。そしてカナダ到着後に出生した子馬が、のちのニアークティックである[3][6][7]。
ニアークティックは4歳時にカナダ・アメリカ両国の主要なステークスレースで優勝し、1958年のカナダ年度代表馬(英語版)に選ばれた。引退後は種牡馬入りし、カナダで7度リーディングサイアーを獲得した。ニアークティックの代表産駒であるノーザンダンサーは、カナダ産馬として史上初となるケンタッキーダービー優勝を果たし、種牡馬としても世界的な成功を収めた[1]。
ニアークティックの後、レディアンジェラはさらに8頭の子馬を産み、そのうち7頭が勝ち上がった。競走馬として最も成功したのはチョップチョップ(英語版)との配合で生まれたチョペリオン(Choperion)で、1961年のコロネーションフューチュリティステークス(英語版)で優勝した。また繁殖牝馬として成功を収めた代表産駒に以下の2頭がいる[1][6][2]
レディアンジェラは1966年に亡くなり、オシャワ近郊のウインドフィールズファームの墓地に埋葬された[8]。没後も、その血はニアークティックとノーザンダンサーを通じて多くのサラブレッドに受け継がれた。2010年、その多大な影響力を評価され、カナダ競馬名誉の殿堂に選出された[3]。1982年から毎年5月にウッドバイン競馬場で開催されているレディアンジェラステークス(英語版)は、生前のレディアンジェラの功績を称え命名された。
血統
脚注
外部リンク