レンベルト・ドドエンスレンベルト・ドドエンス(Rembert Dodoens、1517年6月29日 – 1585年3月10日[1])は、フランドルの医師、植物学者である。ラテン語名はドドネウス(Rembertus Dodonaeus)である。本草書『クリュードベック』(Cruydeboeck)の著者である。ドドエンスの著書は、ヨンストンの『動物誌』とともに江戸時代に野呂元丈らによって蘭訳書から『阿蘭陀本草和解』などに抄訳された[2]。 メヘレンで生まれた。 1530年にルーヴェン大学で医学、地理学の勉強を始め、1535年に卒業した。1538年にメッヘレンで医師を開業した。1542年から1546年までバーゼルで暮らした。ルーヴェン大学の教授の職やスペインのフェリペ2世の侍医の職を断った後、1575年から3年間、ウィーンでオーストリアのルドルフ2世の侍医を務めた。1582年からライデン大学で医学の教授となり、彼の死までその職に留まった。 ドドエンスの『クリュードベック』は715の図版からなる草木の本で、レオンハルト・フックスの影響を受けて植物を6つのグループに分類した。薬草を多く扱ったので薬学の書物として評価された。1554年に出版された『クリュードベック』は1557年にカロルス・クルシウスによりフランス語に翻訳され、1578年にHenry Lyteによって"A new herbal, or historie of plants"として翻訳された。ラテン語にも翻訳され、当時としては聖書に次いで多く翻訳された書物となった。2世紀にわたって、参考文献として利用された。 ムクロジ科の植物の属名ドドナエアに名前がつけられている。 著書
参考文献
ウィキメディア・コモンズには、レンベルト・ドドエンスに関するカテゴリがあります。 |