ヴァンヌ(Vannes、ブルトン語: Gwened、ガロ語:Vann)は、フランス、ブルターニュ地域圏、モルビアン県に属する都市。周辺のコミューンとともに人口約13万人の都市圏を形成している。バンヌとも表記する[1]。
概要
ブルトン語で『小さな海』を意味するモルビアン湾の付け根に建設された都市である。周辺には、2000年近く前に円形闘技場が建てられている。1世紀にローマ帝国支配下にあった頃、湾に面した都市ロクマリアケールを害して、ガリアの一部族であるウェネティ人(Vénètes)がヴァンヌを首都とした。ヴァンヌとはウェネティ人の都市という意味である。ブルトン語名のグウィネド(Gwened)またはヴァンヌの名で、ブルターニュ王国(現在のモルビアン県の位置にあった)、ブルターニュ公国の首都となり、ブロ・ワロック地方の中心地となった。
ヴァンヌには465年にヴァンヌ公会議が開かれた時、司教座とカトリックの修道会が設置された。初代ヴァンヌ司教となったのは、聖パトルヌであった。市は現在、観光地と海のリゾートを抱え、一方では科学と海のテクノポリスを擁している。
地理
ヴァンヌはモルビアン湾の北岸、マルル川の河口に位置する。
車で一時間ほどの距離には、レンヌ、ナント、カンペールがある。パリとは車で4時間の距離である(TGVの場合は3時間、飛行機で1時間)。高速道で1時間ほどの距離にナント・アトランティック空港があり、30分の距離にロリアン=ブルターニュ空港がある。
気候
ヴァンヌはブルターニュ半島南岸に位置し、モルビアン湾の北岸にあり、海洋性気候である。温暖で雨の多い冬、涼しくて相対的に湿気の多い夏が特徴である。降水量の最高値は寒い時期に記録されることが知られる。
以下の表は、2008年の平均気温を降水量を表している:
月
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1月
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2月
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3月
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4月
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5月
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6月
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7月
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8月
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9月
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10月
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11月
|
12月
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年間
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月間最高気温(°C)
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11.5
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12.6
|
12.2
|
14.8
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20.7
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21.7
|
22.2
|
21.4
|
19.8
|
16.2
|
12
|
8.6
|
16.15
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月間最低気温 (°C)
|
4.8
|
4
|
5.3
|
5.6
|
11.2
|
11.8
|
13.1
|
14.3
|
10
|
7.5
|
6.6
|
1.5
|
7.98
|
月間平均気温 (°C)
|
8.2
|
8.3
|
8.8
|
10.2
|
16
|
16.8
|
17.7
|
17.9
|
14.9
|
11.9
|
9.3
|
5.1
|
12.07
|
降水量 (hauteur moyenne en mm)
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149.4
|
78.6
|
86.8
|
76
|
97.2
|
15
|
67.6
|
61.6
|
68.2
|
59.6
|
80.2
|
55.6
|
895.8
|
Source: Météociel[2]
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以下の表は、2008年の最高気温と最低気温を示している:
月
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1月
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2月
|
3月
|
4月
|
5月
|
6月
|
7月
|
8月
|
9月
|
10月
|
11月
|
12月
|
最高気温 (°C)
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14.8
|
15.7
|
16.1
|
21.8
|
26.6
|
26.5
|
29.7
|
30.6
|
22.2
|
23.8
|
15.6
|
13.5
|
\最高気温の日数
|
22
|
26
|
14
|
26
|
12
|
10
|
23
|
30
|
8
|
12
|
4-11
|
4
|
最低気温 (°C)
|
-3.8
|
-2.3
|
-1.7
|
-2.7
|
6.8
|
5.6
|
7.0
|
7.2
|
4.1
|
0.3
|
-1.3
|
-4.7
|
\最低気温の日数
|
27
|
2
|
20
|
7
|
2
|
6
|
22
|
23
|
30
|
22
|
26
|
30
|
Source: Météociel
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歴史
古代、ウェネティ人が現在のモルビアン県部分を征服していた。
- 紀元前56年 - モルビアン湾の海戦で、ローマがウェネティ人を下し、一帯を占領。
- 465年 - 聖パトルヌ、初代ヴァンヌ司教に選出される。
- 6世紀半ば、フランク王国と対立するブルトン人首領ワロックが、本拠をヴァンヌに置く
- 751年から753年、ピピン3世によってヴァンヌはカロリング朝支配下に置かれる。
- 865年 - ヴァイキング襲来
- 890年-907年 - ヴァンヌ伯・ブルターニュ王のアラン1世の治世
- 919年 - 2度目のヴァイキング襲来。大聖堂が破壊される
- 991年-1037年 - ロマネスク様式で大聖堂再建
- 1168年-1187年 - プランタジネット家支配下に入る
- 1341年-1364年 - ブルターニュ継承戦争。ヴァンヌはジャン・ド・モンフォール側につき、シャルル・ド・ブロワ側によって包囲され、降伏。
- 1364年-1399年 - ジャン4世時代、公は本拠をヴァンヌに据えた。1379年にはエルミーヌ城壁の建設始まる。
- 1487年 - 対フランス戦争のため、フランス軍によってヴァンヌが占領される
- 1554年 - ブルターニュ高等法院がヴァンヌに移される
- 1795年 - 王党派がキブロンに上陸。ルイ=ラザール・オッシュ将軍がヴァンヌを平定。
- 1862年 - 鉄道建設。
人口統計
1962年
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1968年
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1975年
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1982年
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1990年
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1999年
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2006年
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2012年
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30 411
|
36 576
|
40 359
|
42 178
|
45 644
|
51 759
|
53 079
|
52 648
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source=1999年までLdh/EHESS/Cassini[3]、2004年以降INSEE[4][5]
紋章
この紋章は、1696年のフランス紋章図鑑に記録された。イタチ(hermine)は、ブルターニュ公ジャン4世が、ヴァンヌに建てた城にエルミーヌ城と名付け、1381年にエルミーヌ騎士団を創設したことから、人気の上がった題材であった。1532年ヴァンヌは、フランス王フランソワ1世を前にブルターニュ公国のフランス併合を宣言した。
史跡とみどころ
ヴァンヌは、フランス歴史と芸術のまちに登録されている。また、花のまちコンクールの四つ花マークを獲得している。歴史記念物として、以下のものがある。
- 監獄門(15世紀)とサン=ヴァンサン通り(17世紀)
- サン=パトルヌ教会(18世紀)
- ヴァンヌ大聖堂 - ゴシック様式。15世紀から19世紀にかけて建設。
- サン=イヴ礼拝堂 - イエズス会によって1661年に建設。
- ノートルダム・デュ・ロイック礼拝堂
- サン=ゲン礼拝堂の古い出入り口
- ウルシュリーヌ礼拝堂
- エルミーヌ城 - 14世紀にブルターニュ公ジャン4世が建てた同名の城が前身。戦争によって城、要塞部分が破壊され、1795年に現在の建物が再建され財務局が置かれた。その後は士官学校、法学校が置かれ、現在ブルターニュ文化研究所が置かれている。付属の庭園がある
-
エルミーヌ城
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監獄門
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サン=パトルヌ教会
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公園の外側を覆う城壁
教育
ヴァンヌ出身の著名人
スポーツ
姉妹都市
脚注
外部リンク
ウィキメディア・コモンズには、
ヴァンヌに関連するメディアがあります。