三井環事件三井環事件(みついたまきじけん)とは、元大阪高等検察庁公安部長の三井環をめぐる事件。 概要2002年4月22日に競売にかけられた神戸市のマンションを暴力団組長の親族名義で落札した際、居住の実態がないのに登録免許税を軽減させたとして、大阪高等検察庁公安部長の三井環が詐欺容疑で大阪地方検察庁特別捜査部に逮捕された。 第一審の経過三井は、暴力団に絡む収賄罪や公務員職権濫用罪で起訴され、5月10日に懲戒免職となった[1]。 三井が逮捕直前まで検察の裏金問題を告発しようとしていたことから、三井および三井の支援者からは検察による口封じであると批判して冤罪を主張した[2]。また、三井が起訴された罪は過去に一度も立件されたことがないような微罪だったり、収賄も従来の事件と比較して著しく低額なものであった。 裁判で三井は検察席にいるかつての後輩にあたる検事たち(含む大坪弘道)を前に、暴力団関係者との交際については検察官として倫理上の問題があったことは認めたものの「風が吹けば飛ぶようなもの」として犯罪性がないとして無罪を主張する一方で、自身が告発した検察の裏金問題について「検察の裏金を告発しようとした自分の発言を封じるために逮捕、立件した」と検察の捜査手法を批判し、「どうして私が被告席にいるのか! 被告人席にいるべきは多額の裏金を捻出した検察首脳らだ! どちらが正義なのか! どちらが犯罪者なのか! どちらが卑劣な人間なのか、よく考えていただきたい!」と検察の裏金問題の悪質性を強調した。 検察は論告で三井に対して「検察幹部による暴力団との交際によって、暴力団組員が検察庁を堂々と訪問するまでに至った」「検事が職責を売った前代未聞の極めて悪質な犯行」「逮捕などされないという特権意識を持っていた」と指弾し、懲役3年および追徴金約28万円を求刑。一方で三井と弁護側は終始無罪を主張しながら検察を批判した[3]。 2005年2月1日、大阪地裁(宮崎英一裁判長)は三井に対して収賄の一部を無罪としながらも、電磁的公正証書原本不実記録・詐欺罪や収賄罪や公務員職権濫用罪で有罪を認定し、懲役1年8ヶ月追徴金約22万円の実刑判決を下した[4]。賄賂額が多額とはいえないこと、暴力団関係者と飲食を共にしたことを検察官倫理上問題があったと自認していること、事件が大きく報道されて懲戒免職処分となり一定の社会的制裁を受けたこと、長年にわたって検察官としての職責を果たしてきたことなどが情状として認められた。しかし、大阪高検公安部長という検察幹部の地位にありながら職務に関連して自己の責任の重さを自覚することなく暴力団関係者との交遊関係を背景にした悪質な犯行に及び、検察官と刑事司法への社会の信頼を大きく損なわれ、発覚後も十分な反省がないことが実刑判決の理由となった[4]。 一方で判決文は「検察の裏金問題については社会的に重大な問題であり、検察幹部として自ら関与したという被告の供述は軽視できないものであって、その問題の糾明が必要なことは明らか」とした。また、判決前にほぼ同じ判決文が政界に流布、河村たかし衆議院議員(後に名古屋市長)が入手し告発する事件が起こっている[5]。 控訴審および上告審の経過三井は控訴するも、判決言い渡しから4か月が経過しても、判決の全文が出てこず、控訴趣意書を書けない異常事態になっていた。 2007年1月15日、大阪高裁(若原正樹裁判長)は一審の実刑判決を支持し、三井側の控訴を棄却した[6]。判決では、三井が高知地検、高松地検で次席検事だった頃に直接体験した限度で調活費の不正流用があったとし、検察の裏金問題を一部認定した[6]。その上で「被告が調活費の実態を生々しく語ることで、検察庁が威信を失墜させることになりかねないと憂慮していたと推認されるが、犯罪の嫌疑があれば粛々と捜査を進めるほかない」と述べた[6]。しかし、1999年度に検察庁幹部の私的な飲食費や遊興費などに調活費が不正に流用された疑惑が表面化してからは、調活費が大幅に減額していることを挙げ、「調活費の本来の目的、必要性には疑問が生じる」と指摘した[6]。 三井は即日上告するも、2008年8月27日、最高裁(中川了滋裁判長)は三井側の上告を棄却[7]。異議申し立ても9月11日付で棄却されたため、懲役1年8ヶ月、追徴金約22万円の実刑判決が確定した[8]。検察官が現職時代の収賄行為で有罪判決になったのは初めて。 事件一覧電磁的公正証書原本不実記録・詐欺罪
収賄罪
公務員職権乱用罪
公訴権乱用
関連事件
その他この事件を受けて、最高検は三井が投資目的で多数の不動産を所有していたことが暴力団関係者との癒着につながったとし、全検察官に対して居住目的以外の不動産の売買について報告義務を課す再発防止策をまとめた。 脚注
関連項目 |