伊号第二百七潜水艦 |
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戦後の伊号第二百七潜水艦 (1946年4月2日、播磨造船所呉船渠) |
基本情報 |
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建造所 |
呉海軍工廠 |
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運用者 |
大日本帝国海軍 |
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艦種 |
潜水艦 |
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級名 |
伊二百一型潜水艦 |
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建造費 |
12,325,000円 |
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艦歴 |
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計画 |
マル戦計画 |
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起工 |
1944年12月27日 |
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最期 |
1945年4月17日工事中止発令 |
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その後 |
1946年5月解体終了 |
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要目 |
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基準排水量 |
1,070トン |
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水中排水量 |
1,450トン |
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全長 |
79.00m |
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垂線間長 |
76.00m |
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幅 |
5.80m |
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深さ |
6.70m |
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吃水 |
5.46m |
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機関 |
マ式1号8型過給機付内火機械2基 蓄電池 一号三十三型 480基 主電動機 特E型 1,250馬力4基 |
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推進 |
2軸 |
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出力 |
水上 2,750bhp 水中 5,000shp |
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速力 |
水上 15.8ノット 水中 17.0ノット |
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燃料 |
重油146トン |
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航続距離 |
水上 5,800カイリ/14ノット 水中 135カイリ/3ノット |
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潜航深度 |
110m |
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乗員 |
定員36名 特修兵教員最大27名 |
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兵装 |
25mm機銃 単装2基 九五式潜水艦発射管4門(艦首) 九五式魚雷 10本 |
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レーダー |
22号電探1組 |
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伊号第二百七潜水艦[注釈 1](いごうだいにひゃくななせんすいかん)は、日本海軍の未成潜水艦。伊二百一型潜水艦の7番艦。太平洋戦争後に解体された。
艦歴
マル戦計画の潜水艦高、第4501号艦型の7番艦、仮称艦名第4507号艦として計画。1944年12月27日、呉海軍工廠で起工。
1945年2月5日、伊号第二百七潜水艦と命名されて伊二百一型潜水艦の7番艦に定められ、本籍を横須賀鎮守府と仮定。4月17日、工程20%の状態で工事中止が発令された[注釈 2]。
1946年4月から5月にかけて、伊号第二百八潜水艦と並行して播磨造船所呉船渠で解体された。
脚注
注釈
- ^ 本来の艦名表記は伊號第二百七潛水艦。
- ^ 進捗率は世界の艦船『日本潜水艦史』(1993)p. 86、世界の艦船『日本潜水艦史』(2013)p. 103、福井静夫『写真 日本海軍全艦艇史』資料篇 p. 艦歴表21、福井静夫『昭和軍艦概史III』 p. 65によるが、福井静夫『昭和軍艦概史III』p. 66には「ごく大体のもの」と注意書きが添えられている。
出典
参考文献
- 海軍省
- 昭和19年6月20日付 内令員第1062号。
- 昭和20年2月5日付 達第22号、内令第96号、内令第100号、内令員第213号。
- 世界の艦船 No. 469 増刊第37集 『日本潜水艦史』、海人社、1993年。
- 世界の艦船 No. 791 増刊第114集 『日本潜水艦史』、海人社、2013年。
- 福井静夫 『写真 日本海軍全艦艇史』、ベストセラーズ、1994年。ISBN 4-584-17054-1
- 福井静夫 『昭和軍艦概史III 終戦と帝国艦艇 -わが海軍の終焉と艦艇の帰趨-』、出版共同社、1961年。
- 防衛研修所戦史室 戦史叢書 第88巻 『海軍軍戦備(2) -開戦以後-』、朝雲新聞社、1975年。
- 丸スペシャル No. 43 日本海軍艦艇シリーズ『日本の潜水艦III』、潮書房、1980年。
- 丸スペシャル No. 132 日本海軍艦艇発達史『日本の潜水艦I』、潮書房、1988年。
- 明治百年史叢書 第207巻 『昭和造船史 第1巻(戦前・戦時編)』、原書房、1977年。