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光海軍工廠

光海軍工廠(ひかりかいぐんこうしょう)は、山口県光市にあった海軍工廠砲熕製鋼水雷、造機、爆弾の各部があった。

沿革

  • 1940年10月1日 - 開設。
  • 1945年8月14日 - 空襲により壊滅。12時20分から1時間(米軍記録では12時17分~13時18分)にわたって米軍機(B-29爆撃機)5波、延べ167機によって空襲された。犠牲者は738人(軍人51人、軍属554人、動員学徒133人)。

工廠長

  • 妹尾知之 少将:1940年10月1日 - 1943年10月1日(1943年5月1日:中将)[1]
  • 田村英 少将:1943年10月1日 - 1945年11月1日(1944年5月1日:中将)[2]

跡地

現在は新日鐵住金光鋼管工場武田薬品工業光工場となっている。

その他

  • 光市の主要道路である国道188号は光海軍工廠の建設に伴う都市計画で建設されたものである。光井地区から室積地区にかけての約2kmの直線区間は非常用滑走路としての機能があった。
  • 残った廃材の一部は広島県広島市の旧太田川に架かる本川橋、広島県安芸郡の瀬野川に架かる九十九橋の2つの鋼トラス橋の再建に利用された。
  • 光海軍工廠への空襲を描いた作品として、いぬいとみこによる児童文学『光の消えた日』(1978年)がある[3]

脚注

  1. ^ 『日本海軍史』第9巻、283頁。
  2. ^ 『日本海軍史』第9巻、292頁。
  3. ^ いぬいとみこ記念文庫について - 柳井市立柳井図書館

参考文献

  • 海軍歴史保存会編『日本海軍史』第9巻〈将官履歴上〉、第一法規出版、1995年。
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