剣埼 |
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基本情報 |
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建造所 |
呉海軍工廠[2] |
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運用者 |
大日本帝国海軍 |
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艦種 |
給油船[3] 運送艦[4](給油艦[5]) |
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建造費 |
予算 382,587円[6][注釈 2] |
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母港 |
呉[5] |
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艦歴 |
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計画 |
大正5年度[7](1916年) |
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発注 |
1916年5月31日製造訓令[2] |
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起工 |
1917年2月27日[8][9][注釈 3] |
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進水 |
1917年6月20日[10][8][注釈 4] |
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竣工 |
1917年11月30日[8][11] |
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除籍 |
1934年4月1日 |
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その後 |
農林省所属の「快鳳丸」となる 1945年1月1日特設砲艦に編入 1945年4月19日戦没 |
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改名 |
剣埼[3] → 快鳳丸 |
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要目 |
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基準排水量 |
1,760トン[12] |
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常備排水量 |
計画 1,970トン[12][13] |
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満載排水量 |
計画 2,301.00トン[14] 実際 2,386.85トン[5] |
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軽荷排水量 |
907.26トン[5] |
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総トン数 |
1,064総トン[5] |
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全長 |
220 ft 6 in (67.21 m)[5] |
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垂線間長 |
210 ft 0 in (64.01 m)[13][5] |
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最大幅 |
計画 31 ft 0 in (9.45 m)[13] 実際 31 ft 1+3⁄4 in (9.49 m)[5] |
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吃水 |
計画常備平均 14 ft 0 in (4.27 m)[13][15] 軽荷平均 7 ft 1+13⁄32 in (2.17 m)(1924年)[16] 満載平均 16 ft 6+29⁄32 in (5.05 m)(1924年)[17] |
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ボイラー |
補助缶:艦本式缶1基[5] |
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主機 |
バーマイスター式直立4サイクル単動ディーゼル2基[13] |
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推進 |
2軸[5] |
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出力 |
計画 1,000馬力(B.H.P.)[13] 実際全力 1,420馬力[5] |
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速力 |
11ノット[5] 1928年公表値 9ノット[8] 経済速力 8.5ノット[5] |
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燃料 |
石炭:6トン[5] 重油:135トン[5] |
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航続距離 |
計画 1,500カイリ / 8ノット[13] 実際 3,750カイリ / 8ノット[5] |
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乗員 |
計画乗員 78名[14] 竣工時定員 98名[18] 1920年 103名[15] 1928年公表値 104名[8] |
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搭載能力 |
計画 重油常備1,100トン、同満載1,195トン[13] 実際 重油満載1,249.78トン[5] |
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兵装 |
40口径安式8cm単装砲 2門[5] |
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搭載艇 |
内火艇1隻、カッター1隻[5] |
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トンは全て英トン |
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剣埼(つるぎざき)[3][注釈 5]は、日本海軍の給油船[3]/運送艦[4](給油艦[5])。艦名は三浦半島東南端の「剣埼」による[11]。
「志自岐」に続いて日本海軍の保有した2隻目のタンカー[19]。
港内での重油補給を任務とした小型給油艦で、日本海軍初のディーゼル推進艦となった[20]。
艦歴
計画・建造
1916年(大正5年、「洲埼」を含む八四艦隊計画と同時期)に計画された[21][2]。この当時の日本海軍の戦艦、巡洋戦艦の重油搭載量は約1,100トンに達していたが、従来の300トン積重油船ではその搭載に時間と労力がかかった[21]。また重油輸送には建造中の給油船「志自岐」の他に少なくても2隻が必要とされた[21]。そこで大正5年度の軍備補充費の雑船製造をやり繰りし1,100トン積重油船を1隻建造、翌年度以降に予算が許せばもう1隻建造することが1月27日に提案された[21]。この提案は同年3月に認められ[21]、5月31日に呉宛に製造訓令が出された[2]。
同年6月26日に「剣埼」と命名[3]。当初は大正5年度中(翌年3月末まで)に竣工の予定だったが、材料の遅れや後述のディーゼルへの改造に手間取るなど、後に竣工期日は7月末、8月末、11月末と3度変更された[22][23][24]。翌1917年(大正6年)2月27日(または3月5日[11])呉海軍工廠で起工[9]、6月20日進水[10][注釈 4]、11月30日竣工した[11]。
機関
機関はディーゼルエンジンを求めていたが適当な物が無く、やむなくレシプロエンジン、1軸推進の計画とした[25]。その後浦風型駆逐艦に搭載されなかったディーゼルを流用、2軸推進とすることが決定した[25]。1916年(大正5年)9月26日に予算変更の訓令が出され[26]、翌1917年(大正6年)4月26日に要目改正の訓令が出されている[27]。
竣工後は当時のディーゼルはまだ信頼性が十分でなく、また扱いにも慣れていないこともあり度々故障に悩まされた。
例えば呉から横須賀、佐世保への航海中に必ず1回はエンジンが停止したという[28]。原因は吸気弁や排気弁が折れる、附属のアルミニウム胴が焼損する、燃料補給が不安定になり停止するなどだった[28]。起動にも時間がかかり、かつ不確実だった[28]。本艦が呉に入港時には、危険回避のため在泊艦船全てにボイラーを至急点火するよう要望したという[20]。
このため1918年(大正7年)3月から5月に横須賀海軍工廠で修理を行った[29]。弁は折損部の直径を増して新規作成、アルミニウム胴は素材の厚さを増し、燃料補給系も重油漉器の能力を上げるなどの改造を行った[30]。これらによりエンジン停止の症状は無くなった[31]。その他燃料ポンプの改造を行った結果、起動時間も短縮された[30]。ただし、まだ冷却水ポンプ、注油ポンプなどに依然問題があり[32]、1920年(大正9年)5月23日から8月3日まで横須賀海軍工廠でポンプ改造が行われている[33]。
剣埼
竣工後の任務は主に内地間の輸送任務を行った[20]。1920年(大正9年)4月1日に特務艦類別等級表が定められ[34]、「剣埼」は運送艦に類別[4]、内部資料では給油艦とされている[5]。1926年(大正15年)以降第4予備艦となって「野間」と並んで呉港に係留される状態となり、1934年(昭和9年)4月1日に除籍された[20]。
快鳳丸
除籍後は翌1935年(昭和10年)に農林省(水産局)に移管、主機換装などの整備を行い「快鳳丸」となる。それからは主に北方漁業保護のために使用されていた。太平洋戦争開戦後は農林省の所属のまま第5艦隊付属の気象観測兼哨戒船として使用された。1943年(昭和18年)以降は南方にも進出し、1945年(昭和20年)1月1日には特設砲艦として再び海軍籍となる。同年4月19日に北海道日高沿岸で、海上機動第3旅団主力を乗せた輸送船「大誠丸」を護衛中、米潜水艦の雷撃を受けて「大誠丸」とともに沈没した。
歴代艦長
剣埼については階級は就任時のもの。
- 指揮官
- 小山田繁蔵 中佐:1917年11月8日 - 12月1日[35]
- 丸橋清一郎 中佐:1917年12月1日[36] - 1919年11月20日[37]
- 野村仁作 中佐:1919年11月20日[37] -
- 特務艦長
- 野村仁作 中佐:不詳 - 1920年11月12日[38]
- 西野作太郎 中佐:1920年11月12日[38] - 1921年7月20日[39]
- 鈴木源三 中佐:1921年7月20日[39] - 1921年12月1日[40]
- 柴田菊枝 中佐:1921年12月1日[40] - 1922年4月1日[41]
- 北村栄虎 中佐:1922年4月1日[41] - 1922年11月10日[42]
- 平山栄 中佐:1922年11月10日[42] -1923年2月20日[43]
- 安野康 中佐:1923年2月20日[43] - 不詳
- 鈴木秀次 中佐:不詳 - 1923年10月15日[44]
- 相良達夫 中佐:1923年10月15日 - 1924年12月1日[45]
- 小林晋 中佐:1924年12月1日[46] - 1925年8月1日[47]
- 江原収治 中佐:1925年8月1日[47] - 1926年2月20日[48]
- 快鳳丸砲艦長
- 福田義夫 大尉:1945年1月1日[49] - 1945年5月10日[50]
脚注
注釈
- ^ #日本海軍全艦艇史上巻p.197では、1917年11月30日の竣工当日の撮影と推定している。
- ^ #大正5年公文備考巻24/製造(雑船)(3)画像27によると製造訓令時の予算は400,440円、ディーゼル搭載決定により357,240円に改正
- ^ #日本海軍艦船名考pp.206-207では起工日は3月5日になっている
- ^ a b 進水日は#戦史叢書31海軍軍戦備1の付表3-1「大正九年三月調艦艇要目等一覧表 その三」などでは6月21日、#昭和造船史1p.795では6月20日になっている。
- ^ 大正5年達103号の命名では劍埼(劍は剣の異字体の一つ)となっているが、以下本文は全て剣埼とする。
出典
参考文献
- アジア歴史資料センター(公式)(外務省外交史料館、防衛省防衛研究所)
- 『倫敦海軍会議一件 第七巻/資料(一)(艦船要目、艦船表、その他) 分割3』。Ref.B04122588300。
- 『大正5年 公文備考 巻24 艦船1/製造(雑船)(2)』。Ref.C08020761400。
- 『大正5年 公文備考 巻24 艦船1/製造(雑船)(3)』。Ref.C08020761500。
- 『大正6年 公文備考 巻19 艦船1/雑船(2)』。Ref.C08020923500。
- 『大正6年 公文備考 巻21 艦船3/竣工』。Ref.C08020927500。
- 『大正6年 公文備考 巻22 艦船4/給油船剣埼要目改正の件』。Ref.C08020929400。
- 『大正7年 公文備考 巻22 艦船3/起工、竣工』。Ref.C08021108300。
- 『大正14 公文備考 巻42 艦船止/特務艦要目』。Ref.C08051419000。
- 浅井将秀/編『日本海軍艦船名考』東京水交社、1928年12月。
- 海軍省 編『海軍制度沿革 巻八』 明治百年史叢書 第180巻、原書房、1971年10月(原著1941年)。
- 海軍省 編『海軍制度沿革 巻十の1』 明治百年史叢書 第182巻、原書房、1972年4月(原著1940年)。
- 海軍省 編『海軍制度沿革 巻十一の2』 明治百年史叢書 第185巻、原書房、1972年5月(原著1941年)。
- 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第9巻、第10巻、第一法規出版、1995年。
- 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝』(光人社、1993年) ISBN 4-7698-0386-9
- 呉市海事歴史科学館 編『日本海軍艦艇写真集 巡洋艦』ダイヤモンド社、2005年。ISBN 4-478-95059-8。
- 『世界の艦船増刊第47集 日本海軍特務艦船史』、海人社、1997年3月。
- (社)日本造船学会 編『昭和造船史(第1巻)』 明治百年史叢書 第207巻(第3版)、原書房、1981年(原著1977年10月)。ISBN 4-562-00302-2。
- 日本舶用機関史編集委員会 編『帝国海軍機関史』 明治百年史叢書 第245巻、原書房、1975年11月。
- 福井静夫『日本補助艦艇物語』 福井静夫著作集第10巻、光人社、1993年12月。ISBN 4-7698-0658-2。
- 福井静夫『写真 日本海軍全艦艇史』ベストセラーズ、1994年。ISBN 4-584-17054-1。
- 防衛庁防衛研修所戦史室『海軍軍戦備<1> 昭和十六年十一月まで』 戦史叢書第31巻、朝雲新聞社、1969年。
- 横須賀海軍工廠 編『横須賀海軍工廠史(3)』 明治百年史叢書 第331巻、原書房、1983年8月(原著1935年)。ISBN 4-562-01380-X。
関連項目