加藤大岳加藤 大岳(かとう だいがく、1907年(明治40年3月7日 )- 1983年〈昭和58年〉10月25日)は、易学者。 熊崎健翁に師事。「昭和の易聖」と呼ばれる易学の大家で、その理論は「大岳易」と呼ばれる一つの流派を確立。門下からは、三須啓仙などの易者を多数輩出した。紀元書房の創設者の一人でもある。 略歴雑誌『易学研究』によれば、福島県会津美里町(旧本郷町)の会津本郷焼・三下亭四代目加藤太郎(士族)の4男2女の末っ子・四朗に生まれた。福島県立工業学校窯業科卒、栃木県那須郡村立大山田陶器学校教師になったがスペイン風邪で退職した。その後、福島県南会津郡楢原村尋常小学校・戸赤分教場代用教員、東洋大学文学科に入学し、詩人・小説家佐藤春夫の門下生になり、詩の同人誌をつくった。在学中、小説家林芙美子、横光利一と交友があり、今東光とは生涯の親友になった。詩集『月に向って』、創作童話集『雀をどり』を出版し、佐藤春夫が序文を寄せた。 1930年(昭和5年)、従姉が易学者熊崎健翁の後妻になった縁で、総合運命鑑定「五聖閣」の講師加藤大岳を名乗った。1936年(昭和11年)、汎日本易学協会創立の中心人物になり、紀元書房の設立者の一人でもあった。同年、親しい映画界のスター及川道子の自叙伝『いばらの道』を編集した。1938年(昭和13年)、大岳の講義『易学大講座』は、門人たちが筆記、整理したもので、以後8巻発表している。1939年(昭和14年)、月刊誌『運命学』は『易学研究』に改題され、2年後に編集兼発行人になった。戦後は易学の著書を多数発表、師熊崎健翁と共に、昭和の占いブームをつくった一人である。『大岳易』を打ち立て、多くの門人を育て、非科学的といわれた易を合理的に研究して大きな成果をあげた。明治の易聖は高島嘉右衛門、大岳は「昭和の易聖」といわれた。 現在、直系子孫の消息は調査されていないが、故郷の子孫関係者の証言があった。晩年、大岳は『易学研究』で生涯をふり返り、才能、努力よりも「運」が良かったと謙虚に語っているが、その理由は前半生の少年・青年時代のドラマチック、幸運な経歴もあった。 エピソード
著書
共著・校訂
参考文献(経歴)
関連人物(大岳易系列) |