北九州市立浅川中学校
北九州市立浅川中学校(きたきゅうしゅうしりつあさかわちゅうがっこう)は、福岡県北九州市八幡西区にある北九州市立の中学校。同区の最西端に位置する中学校である。 概要通称「浅川中」または「浅中」(あさちゅう。校章のデザインが、浅の字の下に、中の字を鳥が羽を広げたようにデザインしたものを合わせた形であるためそう読める)。産業医科大学周辺が校区であり、学校創設当時から県内有数の進学校である東筑高校への進学者が多く、そのため以前から文教地区である同校校区に移住する家族も多くいる。さらに周辺の宅地開発が進み、いわゆる団塊ジュニア世代が通学していた開校当初から約20年弱にわたり、総クラス数30前後、生徒数1,000人前後のマンモス校であった。近年、校区内を含む区域が、北九州学術研究都市として開発されるなどしたこともあり、生徒数も最も少なかった時で750人強、以前に比較すれば生徒数は減少したものの、少子化にもかかわらず毎年1学年7~9クラス(各学年特別支援学級1クラスを含むため、普通学級は各6~8クラス)あり、令和4年(2022年)5月1日時点では28クラス(単式24、特別支援学級4)、生徒数は919人で、次に多い同区永犬丸中の21クラス(うち特別支援1)728人を大幅に上回り北九州市で最もクラス数および生徒数の多い中学校である[1]。 沿革経緯当校創立前は、現校区は北九州市立本城中学校および北九州市立折尾中学校の校区であったが、1978年の産業医科大学開学と前後して、本城西団地、光貞台など、周辺の宅地開発が進み、大学関係者や、多くの従業員を抱えていた新日本製鐵および関連企業の従業員を中心に、団塊ジュニア世代の子供を持つ家族が多く住むようになったため、同地区の年少者人口が増加。1982年、小学生人口の増加に対応して、北九州市立光貞小学校が開校。その後、光貞小学校と北九州市立浅川小学校の全校区、および北九州市立医生ケ丘小学校の校区の一部を校区として、1984年、当校が開校した。 山の一部を切り崩して作られたため、開校当時は北側(現在の浅川学園台2丁目)は山林であり、校門も東側の福岡県道11号有毛引野線に面する位置(現在の浅川学園台交差点の位置)にあったが、その後周辺がさらに宅地開発されたため、現在は浅川学園台の住宅地の一角に位置する形になっている。 年表
教育方針学校教育目標
学校経営方針
重点目標
学校行事1学期
2学期 •8月 夏休み/始業式/課題テスト
3学期
生徒会活動・部活動など学区
交通
著名な関係者出身者
脚注関連項目外部リンク |