中国語版ウィキソースに本記事に関連した原文があります。
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『十六国春秋』(じゅうろっこく しゅんじゅう)は、中国の北魏に撰せられた、五胡十六国時代に関する歴史書である。五胡十六国時代という名称の由来になった。『隋書』「経籍志」によれば、全100巻。
伝歴
北魏の崔鴻が撰した元本は北宋代には散逸してしまっており、現代まで伝えられてはいない。[1]元本の全100巻は、司馬光が『資治通鑑』の編纂に引用した北宋初期には二十余巻を除いて散逸していた。現行の四庫全書に収められている100巻本は、明代になって、『北史』や『晋書』「載記」などの諸書から輯佚したものであり、元本とは異なっている。
また、『漢魏叢書』中にも「十六国春秋」16巻が収載されているが、こちらの伝来も不明であり、北魏の崔鴻の手になる元本とは異なっている。こちらは四庫全書では「十六国春秋」とされている。[2]その他、『広雅書局叢書』中には、清の湯球が撰した「十六国春秋纂録校本」10巻、「十六国春秋輯補」100巻がある。こちらは、『晋書』や各種類書に引用される佚文を輯集したものであり、その典拠も明記されている。また、そこには同撰者による「三十国春秋輯本」も収載されている。
構成
「十六国春秋」
「十六国春秋 (屠喬孫・項琳・四庫全書本)」
脚注
- ^ 紀昀『欽定四庫全書』史部九載記類提要:十六國春秋には、「鴻が作るところの『十六国春秋』一百二巻は『魏書』本伝に見えたり。『隋志』・『唐志』皆著録す。宋初の李昉等、『太平御覧』を作るに猶お之を引く、『崇文総目』始めて其の名を佚す、晁、陳諸家は書目に亦た皆な載せず,是れ北宋に於いて亡ぶなり。」とある。原漢文、『景印文淵閣四庫全書』台湾商務印書館、1983に依った。
- ^ 紀昀は『四庫全書総目提要』で2つの可能性を示唆している。1,晋書を元に後世の好事家がでっちあげた偽書。2,崇文総目・資治通鑑考異に登場する『十六国春秋鈔(十六国春秋略)』の可能性。