八百津線(やおつせん)は、岐阜県可児市の明智駅から同県加茂郡八百津町の八百津駅までを結んでいた、名古屋鉄道(名鉄)の鉄道路線。かつて八百津支線(やおつしせん)と称していた時期があり、八百津支線と呼称される場合は広見線の支線として扱われた[2]。
運賃計算区分はC(運賃計算に用いる距離は営業キロの1.25倍)。
概要
広見線から分岐し、蘇水峡や丸山ダムなどの景勝地を控えた八百津町まで木曽川に沿って結んでいた。途中の兼山町内にトンネルが1か所存在した。
2001年10月1日に全線廃止[3]。同日に同じ名鉄の谷汲線、揖斐線黒野駅 - 本揖斐駅間、竹鼻線江吉良駅 - 大須駅間が廃止されている[4]。
1984年に富士重工のレールバスの試運転が行われ[5]、名鉄が閑散区間合理化のためこれを採用。同年八百津線は電気運転を廃止してレールバス運転に切り替え[5]、その直後から架線などの電化設備は撤去された。レールバス化当初はキハ10形を使用し[5]、1995年より廃止時まではキハ30形を使用していたが[3]、八百津線廃止後キハ30形は三河線の非電化区間へ移籍した。しかし、こちらも廃止になったことにより名鉄から非電化路線はなくなり、車両はミャンマーへ輸出された。その後、2006年に新可児駅構内のレールバス専用の検車場(新可児検車場)が撤去された。
路線データ
運行形態
廃止時点では全列車レールバスによる運行で、八百津線内折り返し運転されていた。ただし、給油基地が広見線新可児駅構内の新可児検車場にあったため、昼間の1往復のみ新可児駅まで直通していた(このときは明智駅で列車交換を行い、明智始発折り返し御嵩行きにも連絡していた。往復とも普通列車であったが八百津行きは広見線の学校前駅を通過していた)。すべて、普通列車のワンマン運転で、明智 - 八百津間で30分間隔で毎時2往復、11 - 12時台は60分間隔で毎時1往復運転されていた。ただし、廃線間際には、臨時列車が数往復増発されて、毎時2往復運転されていた。廃止時点では全列車が各駅に停車していたが、電化時代には兼山口駅と中野駅を通過する普通列車が存在した。
単線であるが、廃止時点では兼山駅などにあった交換設備はすべて廃止されており、列車の行き違いは行われていなかった。
1984年までは電化されており、犬山線との直通運転列車があった時期もある。電化時代、パノラマカーによる名古屋方面直通特急「蘇水湖号」が運転されており、廃止直前に常滑 - 八百津間でリバイバル「蘇水湖号」が、常滑 - 新可児間をパノラマカーによる急行(6両固定編成、犬山から普通)、新可児 - 明智(実際は御嵩行き)間を3400系、明智 - 八百津間をキハ30形レールバスが担当して運転された。
歴史
駅一覧
全線廃止以前の廃駅
以下の駅はすべて1944年(昭和19年)に休止となり、1969年(昭和44年)4月5日に廃止されている[7][15]。駅名は1969年4月5日当時のもので、伏見口駅は現在の明智駅。
- 東伏見駅 - 伏見口駅起点0.8km、伏見口駅 - 兼山口駅間に所在。
- 城門駅 - 伏見口駅起点3.0km。兼山口駅 - 兼山駅間に所在。
- 伊岐津志駅 - 伏見口駅起点6.2km、中野駅 - 八百津駅間に所在。
その他
脚注
- ^ 名古屋鉄道 編『名古屋鉄道社史』1961年、696頁。ASIN B000JAMKU4。
- ^ 名古屋鉄道 編『名古屋鉄道社史』1961年、697頁。ASIN B000JAMKU4。
- ^ a b c d 徳田耕一『名鉄の廃線を歩く』JTBパブリッシング、2001年、p.34
- ^ 徳田耕一『名鉄の廃線を歩く』JTBパブリッシング、2001年、pp.170-171
- ^ a b c d e 徳田耕一『名鉄の廃線を歩く』JTBパブリッシング、2001年、p.33
- ^ a b c d e 運輸省鉄道局監修『鉄道要覧』平成9年度版、電気車研究会・鉄道図書刊行会、p.124
- ^ a b c d e f g 今尾恵介監修『日本鉄道旅行地図帳』7号 東海、新潮社、2008年、p.50
- ^ a b 徳田耕一『名鉄の廃線を歩く』JTBパブリッシング、2001年、p.31
- ^ 徳田耕一『名鉄の廃線を歩く』JTBパブリッシング、2001年、p.32
- ^ a b c d 徳田耕一『名鉄の廃線を歩く』JTBパブリッシング、2001年、p.30
- ^ 清水武、田中義人、澤内一晃『名古屋鉄道の貨物輸送』フォト・パブリッシング、2021年、268頁。ISBN 978-4802132701。
- ^ 「鉄道起業廃止」『官報』1943年8月16日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ a b c 徳田耕一『名鉄の廃線を歩く』JTBパブリッシング、2001年、p.37
- ^ 名古屋鉄道広報宣伝部(編)『名古屋鉄道百年史』名古屋鉄道、1994年、1012頁。
- ^ 徳田耕一『名鉄の廃線を歩く』JTBパブリッシング、2001年、p.170
参考文献
関連項目