土屋 正方(つちや まさかた)は、江戸時代中期の旗本。土屋讃岐守家の第6代当主。
生涯
享保12年(1727年)10月9日、父の遺跡を継ぐ。享保16年(1731年)3月5日、江戸幕府8代将軍・徳川吉宗の小姓組の番士として列し、元文4年(1739年)7月19日、徒頭となり、寛保元年(1741年)6月1日に目付となる。大猷院百回の法要や日光山御宮修造などに関係し、宝暦2年(1752年)2月9日に京都町奉行(東町奉行)に昇任し、4月15日に従五位下・越前守に叙任する。宝暦3年12月24日(1754年)、江戸町奉行(南町奉行)となる。明和3年(1766年)1月11日、武蔵国横見郡山野下村123石と地頭方村107石を加増され、千石取りの旗本となった。明和5年(1768年)60歳で没した。法名は慈道。
その他
- 江戸幕府の旗本の数について、俗に「旗本八万騎」と言われるが実際は約5000家余りで、そのうち土屋家のような千石取り以上の旗本は700家ほどであった。
知行所
年表
参考文献
- 松戸市史 史料編(一)〔大熊家文書〕
- 『寛政重修諸家譜』巻第五百五十一
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