大泉洋大泉 洋(おおいずみ よう、1973年〈昭和48年〉4月3日 - )は、日本の俳優、タレント、歌手、声優、ナレーター、司会者、コメディアン、ものまねタレント、映画監督、著作家、演出家、脚本家、ラジオパーソナリティ、スーツアクター。愛称は「洋ちゃん」[注釈 2][6][7][8]。 所属事務所はCREATIVE OFFICE CUE[2]、業務提携先はアミューズ[9][10]。所属レコード会社はA-Sketch[11]。演劇ユニット・TEAM NACSのメンバー[9]。音楽ユニット・FAN TANの元メンバー[12] 。北海道江別市大麻[1]、同道札幌市南区真駒内[13]出身。北海学園大学経済学部卒業。身長は178cm[2]。妻は元フジテレビ社員でドラマプロデューサーの中島久美子[14]。実兄は函館市長の大泉潤(後述)。 概要北海道テレビ(HTB)のバラエティ番組「水曜どうでしょう」や演劇ユニットTEAM NACSの活動が人気を博し、全国区となった。 東京進出後は俳優としての活躍が目覚ましく、数多くの映画・テレビドラマなどで主演を務める[15]。 演技力も高く評価されており[15]、日本アカデミー賞、ブルーリボン賞など受賞歴も多い。 俳優業やバラエティ出演にとどまらず、音楽番組の司会やアニメの声優、歌、舞台の脚本・演出、エッセイの執筆なども多彩に手がける。 経歴北海道時代北海道江別市の市立江別総合病院で産まれる[16]。幼少期は同市大麻で過ごし、1980年に江別市立大麻東小学校に入学[17]。小学5年生の時に札幌市南区真駒内へ引っ越し、札幌市立真駒内南小学校に転校[18]。その後、札幌市立真駒内中学校[18]にて当時の担任から面談で「吉本に行け!」と言われたことがある。北海道札幌藻岩高等学校を卒業後に2浪し、代々木ゼミナール・サテライン予備校で学ぶ[19]。浪人時代は、遊んでばかりだったという[20]。 1994年、北海学園大学経済学部経済学科に入学。本来、志望していた大学ではなく母親から「もう死ぬんじゃないか」と心配されるほど滅入っており当初は本人も、かなり落ち込んでいたが「このまま腐った気持ちでいるのはまずい」と奮起し、演劇研究会に入る[21]。そこで森崎博之、安田顕、佐藤重幸(現:戸次重幸)、音尾琢真の4人と仲良くなった[注釈 3]。初舞台は同年夏、演劇研究会の道内地方公演での大林先生役[16]。公演当時より独特のキャラクターが際立っていた5人だったので、研究会で浮いていた。 1996年、大学を卒業する森崎・安田の卒業制作として公演を行うため1回限りのユニットとして、上記の4人と「TEAM-NACS」[注釈 4]を結成。森崎・安田の大学卒業と就職を機に解散したが、それぞれ退職し1997年8月に再結成する[22][23]。 また1995年には、演劇研究会の先輩である森崎と戸次の薦めで音尾と共に稲田博が主宰する劇団イナダ組に入団、2004年まで所属した[24]。稲田は「初めて舞台の立ち方を教えてくれた方」として、今でも師とあおいでいる[25]。 大学在学中の1995年10月に、北海道テレビ(HTB)の深夜番組『モザイクな夜V3』に、2代目「元気くん」として出演し、芸能活動を開始。これは、初代「元気くん」・田中護の後任を探していた時に、演劇研究会の舞台を見た劇団OOPARTS(鈴井貴之主宰)の劇団員に認められ、当時鈴井の妻であった伊藤亜由美がディレクターの杉山順一に大泉を紹介したことがきっかけであった[26][27]。「元気くん」は、すすきののニュークラブを取材するというレポーターで、初出演の時には、レポート先で「緊張する人」を演じた[23][28]。 その後にトーク力が買われ、スタジオにも呼ばれるようになった[29]。 また、番組の出演を機に鈴井貴之が代表を務めるCREATIVE OFFICE CUEに所属[26]。 翌1996年7月公開の『ガメラ2 レギオン襲来』に、レギオンから逃げる地下鉄の乗客役で映画初出演を果たすが、鈴井のミスによってエンディングにクレジットされていない[30]。 同年10月に、HTBでスタートした深夜番組『水曜どうでしょう』に出演し、北海道内でのタレント活動が活発化した。大泉と鈴井、ディレクターの藤村忠寿と嬉野雅道の4人を中心に過酷な旅を行う内容が人気となり、深夜枠での放送にもかかわらず1999年には最高視聴率18.6%を得た1999年より全国に番販された。 『パパパパパフィー』に出演もあり、大泉の知名度も全国的に広がった。 2002年にレギュラー放送を終了したが、現在も再編集版が『水曜どうでしょうClassic』・『水曜どうでしょうプレミア』として全国各地で再放送されていたり、不定期で新作が制作・放送されたりと人気がある。 1999年からは、『鈴井の巣』(HTB)でPUFFYにインタビューしたことを機に『パパパパパフィー』(テレビ朝日)に不定期で出演するようになり、全国ネットのバラエティ番組に登場することとなった。 初出演時は、ゲストに郷ひろみや安室奈美恵がいる中で当時の北海道外では、ほぼ無名だった大泉がジャージ姿[注釈 5]で司会として出演したが、観客から「キモい」などと言われ落ち込んだ[31]。この時は、まだ東京に進出する気はなかった[32]。また、この頃に歌手としても才能を発揮した。 2000年、『鈴井の巣』(HTB)で、大泉がボーカルの「大泉バンド」を結成。番組内で奥田民生の作曲、大泉の作詞による「負け戦」を披露した[33]。また、『ドラバラ鈴井の巣』(HTB)では、ドラマ企画毎に歌唱と共に、作詞・作曲を手掛けた。 2004年には、作詞・大泉、作曲・根本要で、スターダストレビューとのコラボレーションシングル「本日のスープ」を「北海道限定版」と「全国版」で発売。全国版はオリコン最高10位を記録し『ミュージックステーション』(テレビ朝日、2004年2月放送)や『うたばん』(TBS、2004年5月放送)に出演した。同年には、『おにぎりあたためますか』(HTB)の企画内で戸次重幸とのユニット『FAN TAN』でザ・ミュージックカウンシルより「起きないあいつ」を発売し、オリコン最高7位を記録。台湾デビューも果たす[12][34]。 俳優としては、2003年には鈴井貴之監督の映画『river』で映画初主演となった。声優としても『千と千尋の神隠し』、『ハウルの動く城』など、複数のスタジオジブリ作品に参加。 2003年には、高坂希太郎監督の『茄子 アンダルシアの夏』にて主人公のペペ・ベネンヘリ役を務めた。東京進出後もゲーム『レイトン教授シリーズ』(主人公・レイトン教授役)や複数のアニメーション映画で声優をしている。 東京進出後2004年5月に、TEAM-NACSの第10回公演として行われた舞台「LOOSER〜失い続けてしまうアルバム〜」のサンシャイン劇場での東京公演で、俳優として本格的に東京に進出(当時31歳)。 東京に進出した理由としては、2002年に『水曜どうでしょう』のレギュラー放送終了したことで、仕事を続けていけるか不安になり。また、北海道での仕事に閉塞感を覚えたことに加え、北海道ロケの映画で東京から来た俳優よりも格下の扱いを受けたことにショックを受けたのが東京進出の一因だった[35][36]。 自身も「自分がこれから年を取って子どもを養わなきゃいけない時に、ずっとこれで食っていけるのかなと三十ぐらいになって考え始め、ドラマや映画をちゃんとやろうと決意した」 その一方で、鈴井亜由美が「慎重なところがある」と評したように「下手に自分の得意な笑いで勝負して、万が一失敗したら立ち返りようがないし、北海道の人をがっかりさせてしまう」「東京の芸能界は怖い。すぐ消えちゃうことになる」と不安もあったが、鈴井貴之の「大きな船で、いきなり広い海の真ん中に出ていくわけじゃない。ゆっくり手漕ぎボートで出ていって何かあれば、また岸に戻って来られるんだから」という言葉に安心し、上京を決心[23]。 同年12月には、大手芸能事務所であるアミューズと業務提携を行い[37]、その後は、道内の仕事はCREATIVE OFFICE CUE、道外の仕事はアミューズが手掛けている[38]。 2005年、『救命病棟24時』(フジテレビ)にて、全国ネットの連続ドラマ初出演。以後、『小早川伸木の恋』(フジテレビ)、『ハケンの品格』(日本テレビ)など、数多くのドラマに出演。 特に『ハケンの品格』では準主役ということで注目度が高まり、北海道(札幌テレビ)での視聴率が関東地区や関西地区よりも高く、平均で25%を超える視聴率を獲得した(関東地区での平均視聴率は20.1%だった)。 2009年5月2日、フジテレビドラマプロデューサーの中島久美子との結婚を発表。 中島とは2005年の『救命病棟24時』がきっかけで知り合い、2006年には大泉の初主演ドラマ『おかしなふたり』を手掛け、2008年の『ロス:タイム:ライフ』出演時の再会以降、交際していた。大泉は中島について「未熟な私を精神的に強く支えてくれ、温かく見守ってくれる方」とコメントした[39]。同年、『赤鼻のセンセイ』(日本テレビ)で連ドラ初主演を果たした。 また、TEAM NACSの第13回公演として行われた『下荒井兄弟のスプリング、ハズ、カム。』では脚本・演出も手掛けた(2012年には『親父がくれた秘密〜下荒井5兄弟の帰郷〜』(テレビ東京)としてテレビドラマ化された)。 2010年8月29日に挙式。参加者は親族および友人、事務所関係者や番組関係者などで、司会は『1×8いこうよ!』で共演する札幌テレビアナウンサー・木村洋二が行った。 同年の大河ドラマ『龍馬伝』に近藤長次郎役で大河ドラマ初出演。 同年9月には、札幌・すすきのを舞台とした映画『探偵はBARにいる』が公開され、大泉は探偵役で主演を務めた。 2012年に、同作で第35回日本アカデミー賞 優秀主演男優賞を受賞。同作は、第2作『探偵はBARにいる2 ススキノ大交差点』(2013年)、第3作『探偵はBARにいる3』(2017年)とシリーズ化された。『探偵はBARにいる3』で、第41回日本アカデミー賞優秀主演男優賞を受賞した。 2013年に、エッセイ本『大泉エッセイ』を発売。日本での累計発行部数は2017年7月時点で約42万部となっている[41]。 2014年、北海道特別"福"知事に就任[42]。同年、主演映画『青天の霹靂』が公開し、第6回TAMA映画賞最優秀男優賞を受賞。 2016年に、第39回日本アカデミー賞優秀主演男優賞と第58回ブルーリボン賞主演男優賞を受賞。 また、2015年には連続テレビ小説『まれ』で主人公の父・津村徹役、翌2016年には大河ドラマ『真田丸』に主人公の兄・真田信之役で出演した。 2018年からは、NHK総合テレビの音楽番組『SONGS』に番組責任者として出演[43]。全国放送のテレビ番組としては、初のレギュラー番組である。 2019年、日曜劇場『ノーサイド・ゲーム』(TBS)で、ラグビー部のゼネラルマネージャー・君嶋隼人役で主演を務めた[44]。 2020年、『第71回NHK紅白歌合戦』で白組司会を担当[45]。 2021年、『第72回NHK紅白歌合戦』で2年連続で司会を担当[注釈 6][46]。 2022年、大河ドラマ『鎌倉殿の13人』では、源頼朝を演じ、物語の前半の要を担った。年末の『第73回NHK紅白歌合戦』で3年連続で司会を務める。 2023年、前年公開の主演映画『月の満ち欠け』で第46回日本アカデミー賞 優秀主演男優賞を受賞(4度目の受賞)。 また、日曜劇場『ラストマン-全盲の捜査官-』(TBS)に主人公のバディで警視庁刑事・護道心太朗役として出演。 10月30日、作詞を手がけた『あの空に立つ塔のように』リリース。司会からは外れたが、同曲で『第74回NHK紅白歌合戦』に歌手として初出場。 人物小学生時代に、両親が車でかけていた落語のテープを暗記するまでに聴き込んでいたことがトーク力を養った[47]。 小学校では同級生2人とのコントがウケたことから、人気者だったという[48]。 一方、中学・高校時代は目立たない存在で物事を斜めに見るようになっていた。理由に関しては「人前で何かをするのがカッコ悪いように思えたのと、高校時代に僕をウワッと押す人がいなかった」「期待されていたら、やっていたけど『やれよ大泉!』って言う場がなかった」と話している[49]。 2浪して志望校ではない北海学園大学に入ったため、当初は死んでもいいと思う程に落ち込んでいた[49]。 音尾琢真も「全く喋りも笑いもしない。ブスッっとして雰囲気悪かった」と話すように、当初は後のTEAM NACSのメンバーとも馴染めなずにいた。そんな中、大泉が『ルパン三世 カリオストロの城』の物真似をして周囲に馴染むようになった[50]。 受験の失敗が、結果的にはTEAM NACSのメンバーとの出会いやテレビ出演に繋がったことから「最低な出来事も実は自分にとって、ものすごく最高な出来事だったりする。悪いことが起きると、若干ワクワクするところあるんです。きてるよ、いいことあるよって」と何事も前向きにとらえるようになったという[51]。 大学時代に高等学校地理歴史の教育職員免許状を取得しており、大学卒業後は両親と同じ教師になる予定だった[52]。当時のテレビ出演は、あくまでアルバイトであり「テレビは思い出作り」と公言していた[52]。 このため、大泉の母親は未だに「今からでも先生になってくれないか」と言っている[52]。 実際のところは大学卒業当時、不況で就職難だったため「とりあえず目の前にあるテレビの仕事や劇団の活動をしっかりやっていこう」という意識も強かったとのこと[21]。 母校の札幌藻岩高校で教育実習における受け持ったクラスの生徒として、杉村太蔵が在籍していた[53]。 テレビ初出演は、大学一年生の頃の1994年にHBCで放送された夕方のニュース番組での特集インタビューに、一般人としての出演であった。この時、HBCが北海学園大学の取材に来るのを事前に把握しており、テレビに出演したいが故にスタッフの目の前を何往復もウロつき、最終的にスタッフに呼び止められる形で取材に応じたという。 ドラマ初出演は、エリアコードドラマ『TV局物語 今にみてろ』(HTB制作、1995年7月 - 9月放送)である。大泉はオーディションでつまらない一発芸を披露する素人役で、完全なエキストラだった(森崎博之も一緒に出演)。撮影の際、裸になって「乳首が喋る」という芸を全力でやった結果、テレビディレクター役のヒロミがうっかり噴き出してしまい、後のバラエティ番組出演にあたっての自信になった[54]。 大泉自身は、リスクを背負ってでも人に笑ってほしいと考えており、以前のポルトガル映画祭で、ウケる必要はないのに「こんにちは、クリスティアーノ・ロナウドです」とボケた。大泉が、そのように考えるのは「世界中から好かれたい」「嫌われたくない」という気持ちからでもあり、さらに「僕にとっては“マグロが泳いでないと死んでしまう”みたいなもので、笑いがないとつらくて仕方がなくて。さすがに家では違いますけどね」と表現している[55]。 自分の出演するバラエティ番組は大好きであるという。また、映画の宣伝でバラエティ番組に出演するのは本当にありがたいと思っており、役者としてはバラエティ番組は絶対にやらないほうがいいと分かりつつも、バラエティ番組に出る理由は「それはやりたいから」「役者としての正解よりも笑いを取りたい気持ちが勝っちゃう」と話している[56]。 大の動物嫌いであり[57]、中でもサルと猫が苦手であるという。大学時代の音尾琢真、結婚後の戸次重幸らは猫を飼っているが、メンバーであってもペットのいる家には呼ばれても行かない。猫を抱き続ける役の主演のオファーを断ったことがある[58]。ただし、自身のファンのことを『子猫ちゃん』と呼んでいる[59]。 なお、大泉が犬と「共演」する映画やCMもいくつか存在しており、自身が出演した映画『ぶどうのなみだ』のイベントで、映画の撮影で共演した大型犬とのコミュニケーションで「お手」と「お座り」を披露したほか、犬に対しておどけてマイクを向けてインタビューを試みたり「こう見えても、あまり動物が好きじゃないんです」と言いながら「彼はなぜか、いけるんです」とイベント中ずっと撫でているなど、動物嫌いを公言しているが、動物に関する仕事全てが絶対にNGという訳ではない[60]。 物事を続けることにこだわっており「かけた年月の分だけ味が出ると思っている」「出会いを簡単に終わりにしたくない」と語っている[61]。大泉のスタンスはTEAM NACSの活動や北海道時代からのレギュラー番組の長寿化にも表れている。 自他共に認める面倒くさい性格[62]。夫婦役で共演経験のある小池栄子からは、大泉と同じくTEAM NACSに所属している安田顕とは「(安田は)大泉洋みたいに細かいこと言わない」として比較されている[63]。 好きな食べ物はスープカレーである。ベル食品の「本日のスープカレーのスープ」をプロデュースしており、本人は「スープカレーを全国に広めたのは自分の可能性が高い」と話している[64][65]。嫌いな食べ物はカボチャ、ペンネ、脂の多い肉類、奈良漬け[注釈 7]。甲殻類や白身魚のアレルギーがあり、痔持ちである[66]。 趣味は料理[67]。『水曜どうでしょう』では、「シェフ大泉」として料理を振る舞うことがあったが調理に時間がかかり、味についても多くが他の出演者やディレクターから不評を受けた[68]。また、大泉が作った半生状態のエビチリを食べた安田顕をエビアレルギーにさせている[69]。 トレードマークである髪は天然パーマで、メイク時間は90分かかるという[70][71]。 遅筆であり、『ドラバラ鈴井の巣』の「さよなら朝日荘」では脚本が遅れたため、父親に謝罪文を書いてもらったこともある。 2010年のバンクーバーオリンピックのノーマルヒル予選では、札幌テレビ放送の『1×8いこうよ!』のロケとして顔を白く塗り、現地で選手を応援した。この様子が、アメリカのYahoo!ニュースで「スキーノーマルヒル予選を観戦する札幌から来た大泉洋さん」として掲載・配信され、NHKの生中継でも話題となった[72][73]。 歌が上手い。ウルフルズのトータス松本も、カラオケに行った時に「あまりに歌が上手くて、ビックリした」と話しており、大泉がCMでウルフルズの「笑えれば」をカバーした時は「100点と言いたいところですが、悔しいので85点で!」と採点しながらも「本当に上手いですよ、ピッチも合ってますし」と評価した[74]。2021年の紅白歌合戦では、同じく北海道出身の細川たかしとのデュエットにより、カラオケの十八番と話す「北酒場」を熱唱した[75][76]。 雨男であり、『清須会議』や『探偵はBARにいる』の撮影中は大泉が現場入りすると雨が降り出し、雨がやむまで待たなければいけないということで共演者達は迷惑だったという[77][78]。 ただし、雨男にも波があるようで[78]『恋は雨上がりのように』では、雨が降らなければいけないシーンで全く降らず、監督からは「見掛け倒し」と言われた[79]。 小学生の頃、同級生から面長なことから「バナナ」とあだ名をつけられそうになったが、嫌だったので無視して回避した。 時折、全国ネットのバラエティ番組等で「なまらムカつくべや」など、北海道弁を使う事がある。 上京時に最初に住んだのは東銀座で、目の前にインターがあったことを公表している。羽田空港の近くにしか住みたくなかったからという[80]。 家族・親戚・交友関係父の恒彦は小樽市出身[81]。北海道高等盲学校や北海道七飯養護学校などの校長を歴任した元教員で、2012年に瑞宝双光章を受章[82]。定年後は医療・福祉関係の大学や専門学校の教壇に立ち、後進の育成に尽力した。 母の正子は愛媛県出身で、曽祖父(正子の祖父)の清水肇はかつて伊予鉄道松山市駅(当時は松山駅)の駅長を務めた人物だったが、祖父(正子の父)の泰(ゆたか)が戦後に職を失ったことから正子ら家族を伴い北海道上川郡愛別町に移住、正子は旭川東高校から北海道学芸大学(現・北海道教育大学)を卒業し、小学校の教員を務めた後、母(洋の祖母)シズコがハワイ出身であったつてを頼りハワイ・マウイ島への留学を経て中学校の英語教員を務めた[81][83]。教え子には蛯名正義(JRA元騎手、現・調教師)がいる[84]。 テレビカメラの前では「親父」という言葉を使うが、プライベートでは両親のことを今でも「パパ」「ママ」と呼んでいる。中学校時代に1度、直そうとしたが無理だったという。「独り暮らしは楽しいかもしれないが、いられるうちは両親と一緒がいい」と札幌にいた30歳までは実家で暮らしていた[85]。現在は妻子と共に東京に暮らしている[86][87]。 7歳上[88]の兄・潤は北海道札幌北高等学校、早稲田大学法学部を卒業後、函館市役所に入庁。2019年5月より市保健福祉部長[89]を務めていたが、2022年7月に辞職[90]し、2023年4月実施の函館市長選挙への出馬を表明した[91]。2023年4月23日に投開票が行われた結果、当時現職であった工藤壽樹を破り初当選。4月27日付けで函館市長に就任した[92]。 自他ともに認める大のお爺ちゃん子で自分の番組で度々、祖父・恒三の話題を出すなど強く慕っていた。祖父は1999年1月18日に亡くなり、その日は『水曜どうでしょう』「四国八十八ヵ所」のロケ初日だった。 DVDに収録されたコメンタリーによると、1月18日午前、大泉は四国に向かう前の空港で家に電話したが誰も出ず、この時点で嫌な予感が当たり、ロケ中に母親から祖父が亡くなったとの連絡を受けた(厳密には携帯に入っていた留守電を聞いた)大泉は携帯を握り締めながら崩れ落ちた。電話において母親から仕事を優先するよう言われ、大泉自身もロケの続行を希望したが、一家の家族仲を知る同行ディレクターの藤村忠寿と嬉野雅道は即座に北海道に戻ることを決断。 番組でも珍しいロケの中断となり、葬儀の終了後に再収録された。帰札の判断を下した藤村は「(大泉が)ロケを続けられる精神状態じゃなかった」と振り返り、大泉も自分のために必死で夕方からでも空いている飛行機を探してくれたディレクター二人に感謝する一方で、後に発売されたどうでしょう本で「死に際に一緒にいてやれなかったのが悔しかった。」と当時の気持ちを綴っている[93]。祖父の死去後に『ドラバラ鈴井の巣』で脚本を担当した半自伝的ドラマ『山田家の人々』では、大泉自身が祖父を模した山田春三を演じた。 自動車販売をしている「みっちゃん」という従兄弟がおり『水曜どうでしょう』等で物真似をしている。大泉が新車を買って3年すると必ず電話が来て「あの車はもう走らんぞ。そろそろ新しいのを買ったほうがいいぞ」と言われて買わされるため、大泉の妻からは詐欺師だと思われているという[88]。 先祖は仙台藩白石の片倉家の家臣で、戊辰戦争に敗北後、北海道に開拓民として入植した。移住時に咸臨丸に乗船し、函館沖で座礁沈没し九死に一生を得る。現在の札幌市白石区に入植する。[81] TBSアナウンサーの安住紳一郎とは、浪人時代に通っていた代々木ゼミナール札幌校の同級生であり[95]『ぴったんこカン・カン』[注釈 8] などで共演している[96]。 業務提携先のアミューズの先輩であり『龍馬伝』、『ラストマン-全盲の捜査官-』等で共演した福山雅治とは仲が良く、互いに物真似をする[97][98][99]。 福山は「バラエティスキルの異常な高さや人を楽しませる根本の才能に加え、学生時代からの俳優としての地肩もある」ということから、大泉を「エンタメ二刀流」「日本人俳優史上最先端のハイブリッド」「まさに時代が求める男」と評価している[100]。 演劇を始めたばかりの大学1年生の時に、三谷幸喜が主宰する劇団東京サンシャインボーイズの『ショー・マスト・ゴー・オン』をテレビで観たことで、演劇の面白さを知ったことから、三谷は憧れの人物である[101]。 三谷の脚本・監督作品に多数出演する常連俳優である。大泉は「初めて会った時から、三谷さんは僕の取扱説明書を熟読しているかのよう」と話し、三谷は大泉を「彼が十年早く、もしくは僕が十年遅く生まれていれば、一緒に劇団を作っていたような気がして仕方ない」と語っており、『三谷幸喜のありふれた生活』では敬称を付ける他の俳優とは異なり、東京サンシャインボーイズの団員と同様、大泉が呼び捨てで書かれていることから、信頼しあってることがわかる[102]。 SixTONESの松村北斗は大泉のファンであると公言しており、司会を務めた2020年の『第71回NHK紅白歌合戦』では、SixTONESの歌唱後に「SixTONESの皆さん、ありがとうございました。松村君も良かったぞ」と話し、話題になった[103]。 ピアニストの松本圭司とは、中学生時代の同級生であり[104]、生誕50周年記念!!大泉洋リサイタルなどで共演している。 物真似特技は物真似である。TEAM NACSのメンバーを初めとして自らの親戚や友人、著名人、番組やドラマの共演者・関係者などレパートリーの範囲は幅広く、60人以上いる[105]。物真似の傾向としては、その人物の特徴的な口調を真似ることが多い。物真似を生かして『水曜どうでしょう』などテレビ・ラジオ番組でのトークの端々に物真似を織り交ぜる。2005年の『笑っていいとも!』のテレフォンショッキングのゲスト出演時には田中眞紀子と松平健を披露している。また、人から物真似を伝授されることもある。
受賞歴
出演→TEAM NACSとして出演したものは、TEAM NACS#出演を参照
テレビドラマ
配信ドラマ
映画
舞台→TEAM NACSの舞台での出演・脚本・演出については「TEAM NACS § 舞台」を参照
テレビ番組太字は、放送中。 バラエティ番組
音楽番組
情報番組ドキュメンタリー番組
特別番組
ウェブ番組
ラジオ番組
声の出演アニメーション映画
吹き替え
テレビドラマテレビアニメ
OVA
ゲーム
人形劇
CM全国放映
北海道ローカル
MV
DVD
コンサート
監督・脚本・演出映画
舞台→TEAM NACSの舞台での出演・脚本・演出については「TEAM NACS § 舞台」を参照
CD
作詞・作曲
書籍
写真集
雑誌・新聞連載
関連書籍
その他
脚注注釈
出典
外部リンク
Information related to 大泉洋 |