安倍 泰長(あべ の やすなが)は、平安時代後期の貴族・陰陽師。陰陽博士・安倍有行の子。官位は従四位下・陰陽頭。
経歴
寛治6年(1092年)に叙爵[1]、翌年の除目では天文博士との兼務を図るが実現しなかった[2]。その後、承徳3年(1099年)に従五位上[3]、天仁元年(1108年)に正五位下[4]に叙され、この間に陰陽博士・暦博士・雅楽頭などを歴任の後、天永2年(1111年)に従四位下に叙される[5]。永久2年(1114年)より陰陽頭を務めていたが、保安2年(1121年)に卒去。享年54[6]。
系譜
脚注
- ^ 『師通記』寛治6年正月4日条
- ^ 『長右記』寛治7年2月5日条
- ^ 『本朝世紀』承徳3年正月6日条
- ^ 『中右記』天仁元年11月20日条
- ^ 『長秋記』天永2年2月14日条
- ^ 赤澤、2011年
- ^ a b 「安倍氏系図」(『続群書類従』巻第170所収)
参考文献