岩崎大輔 (ピアニスト)岩崎大輔(いわさき だいすけ、1960年 - )は、日本のピアニスト。 略歴福岡市出身。5歳の時にピアノ教師の母からレッスンを受け始め、母の影響でクラシック、ポピュラーなど様々なジャンルを聴いて育つ。小学5年でジャズを演奏。15歳で明治生命ホールにて「岩崎大輔ポピュラーピアノリサイタル」を開催し成功を収める。当時最年少と言われたピアニストデビュー。また雑誌「中学時代などに「天才少年」として掲載される。 YAMAHAエルモーション(バンドコンテスト)ベストキーボード賞を2度にわたり受賞。1981年(21歳)米ボストン・バークリー音楽院へ留学し、ピアノ、作曲、編曲、和声学等を学ぶ(ピアニスト小曽根真は同期で、現在も親交を持つ。)。帰国後、東京を拠点にジャズを中心とした内外のトップミュージシャン(日野元彦、中本マリ、鈴木良雄、村上寛、大野えり、ITS、廣木光一他多数)との活動の傍ら、中南米音楽・シャンソン・カンツォーネなど多岐に渡るポピュラー音楽の演奏・編曲者としてもその才能を発揮していく。 1985年にデビューアルバムDAISUKE (岩崎大輔トリオ)、翌年Jazz on Classic、Dance Funをリリース。また1988年福岡時代から面識があった勝木ゆかり、深浦昭彦両氏のユニットS.E.N.S.のデビュー時にNHK 『海のシルクロード』のピアニストとして参加。演奏だけではなく編曲なども手伝う。 その後、1991年にTVドラマ『もう誰も愛さない』、ミュージカル Far East Storyの音楽を担当。他に大手企業の広告音楽の制作等々多方面からオファー殺到。1995年に開催された第18回夏季ユニバーシアード福岡大会ではマスコットキャラクターカバプーを題材とした『カパプーの絵かき歌』を作曲。1997年NHKドラマ新銀河『愛情旅行』の音楽担当。同年SONYプレイステーション用ゲームソフト『リフレインラブ』(日本初のトレンディードラマ仕立てのゲーム)の音楽担当。同タイトルのCDを発売するなど新しい分野にもチャレンジ。同年ガーシュイン作でクラシックの要素もある『ラプソディ・イン・ブルー』をゲストピアニストとして福岡市民オーケストラと初共演。1998年春日市スプリングホール、福岡市電気ホールにて金獅子太鼓と邦楽、ジャズ、クラシックの融合したコンサートをプロデュース。その後、多くのコンサート、イベント、CD・DVD制作を行う。 1999年には全曲オリジナルCD DAISUKE 2ND STAGE(岩崎大輔)を発表し、アクロスシンフォニーホール(福岡市)に於いて『音楽生活20周年記念コンサート』を開催。ピアノ、ベース、ドラム、箏、ストリングス 総勢16人からなるオーケストラ編成をすべて自身で編曲。2000年春日市弥生の里音楽祭のオープニング、ファイナルコンサートの音楽監督を務める。春日市とは縁があり、1995年より20年以上に渡り、ミュージシャン・プロデューサーとして多くの演奏会に起用される。2001〜02年福岡市民芸術祭のオープニングコンサートの音楽監督を務め、管弦楽編成のアジアンポップスオーケストラ(中国、韓国、日本の民族楽器も含む)でアジアを意識した演奏会を行う。2004年初のピアノソロアルバムCD『アーバン・クロスロード』発表。また2004〜08年、5回に渡り童謡唱歌「うたの玉手箱」コンサートの音楽監督を務める。2009年韓国の歌手パク・ラオンのCD My Secret/Park Raonに参加。日本CDデビューに貢献。 2010年ニュージャージ州フォートリーで行ったレコーディングは、ドラマーのアル・フォスター氏(ジャズ界の巨人ソニー・ロリンズ、マイルス・デイビス氏らと共演)、ベーシストのデビッド・フィンク氏(ジャズ界の巨人ピアニスト ハンク・ジョーンズ氏と共演)との共演。同年、完成したリーダーアルバムCD CORNER OF THE STREETをリリース(JAZZ LIFE 2010年5月号にインタビュー記事掲載)。2014年、水城大提築造1350年記念事業福岡発市民ミュージカル『ASUKA』の音楽監督を務める。藤村信一による書き下ろし脚本に20曲以上全てオリジナルで作編曲。尺八、ビオラ、キーボード、ピアノ、ベース、ドラム、パーカッションの7人編成の生演奏を上演で行う。完成したCDアルバムでは尺八、ビオラを除いて演奏は全て単独でコンピューター制作。ミキシング、CDジャケットのデザインを含めるとおよそ500時間を費やす。 人物2歳上の姉と二人兄弟。母は85歳まで現役のピアノ教師で、若い頃からタンゴや映画音楽など多様なジャンルを好んで聴いた。小学5年の頃には耳で聴いた曲を、「瞬時に伴奏付で演奏する少年」と話題になり、テレビ、ラジオに多数出演。中村八大氏とも縁があり、将来へのアドバイスや太田幸雄氏を紹介される。また当時ウィーン国立音楽アカデミー留学から帰国したばかりの福田伸光氏に出会い、高校時代までクラシック音楽を師事。音楽の幅広さを学ぶ。 1992年東京での大活躍の最中、故郷福岡へ帰る決意を固める。福岡に戻り、雷山キャンプ場(現・福岡県糸島市)の山の中に住居兼スタジオを構える。 2008年ポピュラー音楽初の福岡市文化賞を受賞。2009年福岡女子短期大学客員教授に就任。 ディスコグラフィー
主な音楽活動主なマスコミ関係・音楽担当
主なCM音楽制作
コンサート プロデュース&音楽監督歴
その他主な演奏活動
主なCD参加&制作作品
その他主な作曲活動
外部リンク※ふくおか音楽村(2015年7月31日及び2015年8月8日) WWW.fukuokaongaku.com 2015年10月12日時点インタビューよりアーカイブ 2015年10月12日閲覧 )[出典無効] |