崔 周鍾(チェ・ジュジョン、최주종)は、大韓民国の軍人。創氏改名による日本名は白三賢三[1]。
経歴
咸鏡北道城津に生まれる。満州国陸軍軍官学校第3期予科卒業。陸軍士官学校第58期に留学。終戦後、新京保安司令部警備隊責任者[2]。
1946年1月、軍事英語学校卒業、任少尉(軍番10010番)。第1連隊の創設に参加し、勤務中隊(中隊長:張錫倫大尉)小隊長。途中で退官。
朝鮮戦争が勃発すると中尉に復職して、第1対ゲリラ隊長として浦項付近の治安に任じる[6]。釜山橋頭堡の戦いでは第3連隊第2大隊長として慶州の戦いに参加。1952年3月20日、第1師団第11連隊長(大領)[7]。
1954年7月31日、陸軍政訓学校校長(初代)[8]。1957年、陸軍士官学校生徒隊長。1961年、第31師団長(准将)[9]。5・16軍事クーデターに参加して国家再建最高会議最高委員、任少将。同年11月、第8師団長。1965年、軍需基地司令官。1967年、陸軍戦闘発展司令官。1971年、大韓住宅公社総裁。
出典
参考文献
- 佐々木春隆『朝鮮戦争/韓国篇 上巻 建軍と戦争の勃発前まで』原書房、1976年。
- “崔周鍾”. 国立大田顕忠院. 2016年6月23日閲覧。