川崎市立長尾小学校(かわさきしりつながおしょうがっこう)は、川崎市多摩区長尾にある市立小学校。
校内
| この節には独自研究が含まれているおそれがあります。 問題箇所を検証し出典を追加して、記事の改善にご協力ください。議論はノートを参照してください。(2018年3月) |
校舎は南西方向から北東方向へ伸びている。校舎の南側はプールがあり、北側に校庭がある。校庭は第1から第4まであるのが特徴。メイングラウンドである第1のほか、第2は野球部の練習、第3と第4は畑として使われている。第3と第4は道路を軸とする対称の位置にある。メイングラウンドには本校の象徴であるジャンボ滑り台がある上に丸太渡し、滑り台、ジャングルジム、登り棒、鉄棒などがある。鉄棒周辺に児童施設わくわくプラザが併設されておりこの施設は時間制で児童を預かる施設で主に低学年が使用する。わくわくプラザの隣には業務用および授業用の倉庫があり体育で使用される石灰ラインやハードル棒などはここで管理されている。校庭から南側、校舎の方を見ると大階段と呼ばれる階段がある。運動会の際はこの階段の上部中央に得点表が掲示される。また校舎に向かって大階段の左側にはスロープがあり、階段を上らなくとも昇降口へと行くことができる。(一時はこのスロープのみを使用可としていたため、現在でもスロープを利用する児童が大半である。)またスロープの脇には紫陽花が咲いている。昇降口の前の広場は職員室の真下にあたる。ここには以前、石の標本が並んでいたが現在は撤去されている[要出典]。昇降口に向かって左側には各学年分けされた花壇と鯉のいる池、ウサギ小屋などがある。さらに進むと裏側のプールへつながる。また、職員用昇降口階段もこの近くにある。
児童数
平成30年4月時点での児童数は272人である[1]。基本的に1年〜6年まで2クラスの授業展開だが、一部の学年では1クラスで授業をしている学年もある。
少人数制授業
算数では少人数制を採用しており、半数は教室で残りの半数は3階の多目的室を使用している。ただ、この制度は全学年ではなく一部の学年のみ適用されている。
学校行事
- 主な学校行事のみ掲載する。細かい行事は以下の出典を参考のこと[2]。
- 4月
- 5月
- 6月
- 7月
- 8月
- 9月
- 10月
- 前期終業式
- 6年地区別運動会
- PTA主催「きらっPまつり」
- ふれあいたてわりまつり
- 秋季休業
- 11月
- 12月
- 1月
- 2月
- 3月
歴史
前史
- 1873年(明治6年) : 化育学舎・鈴木学舎が長尾村に開校する[4]。
- 1874年(明治7年) : 化育学校・成始学校に名称変更。
- 1877年(明治10年) : 化育・成始学校を統合して長尾の下原に長尾村立経綸学校が開校。初代校長 相良利夫[5]。
- 1889年(明治22年) : 上作延村・長尾村・平村・菅生村が統合されて向丘村 となったことで、経綸学校も向丘村立尋常経綸小学校となる[6]。
- 1908年(明治41年) : 菅生・経綸・向丘小学校が統合されて向丘村立尋常高等向丘小学校(現:川崎市立向丘小学校 )となり、長尾の経綸小学校はその仮教場となる。
- 1917年(大正6年) : 長尾の仮教場廃止。
アクセス
- 川崎市コミュニティバスあじさい号 『長尾小学校前』停留所下車後、東門まで徒歩約40m弱・約1分。
- 停留所から東門は直線距離では目の前だが、校地と川崎市道の間にフェンスが設置されているため、少し遠回りを強いる。
- また、「あじさい号」は、片方向の運行のため、久地駅へは「あじさい寺」停留所まで移動し、駅方面行に乗車するか、徒歩移動となる。
- JR東日本南武線
- 久地駅より、
- 北門まで、徒歩約1.55km・約24分。
- 上述の川崎市コミュニティバスあじさい号に乗車し、『長尾小学校前』停留所下車後、東門まで徒歩。
- 宿河原駅から、北門まで徒歩約1.6km・約24分。
- 川崎市営バス「溝06」・東急バス「向02」の各系統で、『長尾』停留所下車後、北門まで、
関連項目
脚注
- ^ 児童数・教職員数 - 川崎市立長尾小学校
- ^ 学校行事 - 川崎市立長尾小学校
- ^ 笑顔の花 咲かせ40年 長尾小学校 「種」を地域へ - タウンニュース多摩区版・2021年11月26日号
- ^ 学校の移り変わり - 川崎市立稗原小学校
- ^ 自由民権運動と川崎 長尾村の井田文三 地域の教育に尽力長尾村の鈴木久弥 - 月刊ステージ・アップ 93 5月号
- ^ 学校の歴史 - 川崎市立向丘小学校
外部リンク