この項目では、文学のジャンルについて説明しています。雑誌については「幻想文学 (雑誌) 」をご覧ください。
幻想文学 (げんそうぶんがく、仏 : littérature fantastique リテラチュール・ファンタスティック、英 : fantasy literature )は、
象徴主義 の画家ギュスターヴ・モロー 「オイディプスとスフィンクス」
概説
ゴシック趣味にもとづく超自然的現象を装飾文体で語るゴシック・ロマンス (ゴシック小説)では、マシュー・グレゴリー・ルイス 、アン・ラドクリフ などが挙げられる。また、近代小説と分類される作家では、ゴーゴリ 、ドストエフスキー 、ディケンズ 、日本では夏目漱石 、森鷗外 、芥川龍之介 、川端康成 、谷崎潤一郎 などが、超自然に材を取った作品を残している。この分野では、モダニズムの作家であるカフカ 、ナボコフ 、ベケット 、プルースト 、ジョイス らの作品が幻想文学に位置づけられることもある。また、事象を現実世界への無意識の侵入をテーマ化するシュルレアリスム も含むことがある。
範囲の曖昧さ
ただし、定義の範囲を最も広げて、「神秘 的空想 の世界を描いた文学全般」とすると、その範疇はかなり曖昧になる。
神話 や民話 、寓話 、叙事詩 の一部にもその傾向はある、ともいえる[ 2] 。
近代以前では、ローレンス・スターン の『トリストラム・シャンディ 』も「幻想文学」とされることがあるので、近代小説成立以前にも多くの幻想文学作品が存在していた、ともいえる。
現代に入ると、ポストモダニズム の先鞭となる、古来からある神話的・民話的モチーフを取り入れ、寓話風の作品を書く作家が現れた。代表的なものとして、カルヴィーノ 「我らの祖先」三部作や澁澤龍彦 のタブッキ 、ウィンターソンのアンジェラ・カーター などが挙げられる。これらと並行した時期に、南米のマジックリアリズム 作家、ガルシア=マルケス 、ホルヘ・ルイス・ボルヘス 、マヌエル・プイグ 、ホセ・ドノーソ らがいる。幻覚を扱った作品では、いくつか類別することができる。ジェラール・ド・ネルヴァル 「オーレリア」[ 3] 、夢野久作 「ドグラ・マグラ 」、色川武大 『狂人日記』は、狂気や精神障害 、錯乱による幻覚を扱った作品である。ウィリアム・S・バロウズ などは、ドラッグによる幻覚を扱った。ほかには、事象が幻覚であり、現実に起きていないことを認識した上でその幻覚を描く作品を、内田百閒 や日野啓三 が残している。
神の啓示 や霊的なもの、天使 、悪魔 、魔女 、魔術 、錬金術 などにまつわる物語については、神秘文学 、オカルト文学 といった呼び方をすることもある。風刺 のために架空の土地や世界を舞台にしたり、空想的な冒険を描く作品として、シラノ・ド・ベルジュラック 『太陽の諸国諸帝国』やジョナサン・スウィフト 『ガリバー旅行記 』なども幻想文学として扱われる。サド 、マゾッホ 、バタイユ 、アンドレ・ピエール・ド・マンディアルグ といった性愛の幻想を描いた作家も、耽美、異端といった表現で幻想文学に入れられることもある。
いちはやく幻想文学理論をまとめた[ 4] シャルル・ノディエ (Benjamin Roubaud画)
ツヴェタン・トドロフ (『幻想文学論序説』)は、M・R・ジェイムズ (Ghosts and Marvels )やオルガ・ライマン (Das Märchen bei E.T.A.Hoffmann )などを引いて、幻想とは現実と想像(超自然)の間で読者に「ためらい」を抱かせるもので、それは「恐怖」と「驚異」の中間にあるものとするが、H・P・ラヴクラフト (Supernatural Horror in Literature )は読者に誘発する感情の強さのために「恐怖 」を重要視し、ピーター・ペンゾルト (The Supernatural in Fiction )やカイヨワ (『幻想のさなかに』)も「恐怖」や「奇異の感情」を幻想の要素としている。マルセル・シュネデール 『フランス幻想文学史』は、「幻想とは内奥の空間 を探求するもの」[ 5] とする。
文学用語(文学研究のための学問的用語)として「(フランス語)fantastique」「(英語)fantasy」を使い始めた経緯
フランス語 のfantastique 、英語 のfantasy 、ドイツ語 のPhantasie などは、それぞれの歴史的経緯から意味はまったく同じではないが、元はギリシア語 のphantastiké から、ラテン語 のfantasticum を経て生まれたと推測されている。幻想文学的作品にFantastique の語を用いるようになったのは19世紀フランス・ロマン派の人々で、この分野の研究はフランスで進み、ツヴェタン・トドロフ 『幻想文学論序説』(Introduction à La Littèrature Fantastiaue , 1970年)が各国に翻訳、紹介されて、Fantastic の語が文芸用語として認知されるようになった[ 6] 。
日本では『哲学字彙 』(1881年)でHallucination の訳語として「幻想」が使われたが、その後心理学・哲学の領域では「幻覚」に定着。『訂増英華字典』(1883年)で、Fancy 、Fantasm 等の訳語として「幻想」が使われた[ 7] 。
幻想文学の系譜
源流
幻想文学の源流である神話や民話においては、アニミズム に基づく精霊 や妖精 の物語が生み出された。ホメロス 『オデュッセイア 』では地獄が語られ、ギリシア悲劇 には幽霊が登場し、宗教書では霊や予言者や魔女の物語があり、また多くの狼男 や吸血鬼 、変身などをテーマとする物語が作られてきた。またヨーロッパではアーサー王伝説 も広く題材にとられ、『アレクサンドロス大王東征紀 』を元にした「東方の驚異」に関する伝説(「アレクサンドロス大王からアリストテレスへの手紙」)や、プレスター・ジョン伝説 がアジアへの幻想をかき立てた。18世紀初頭にはフランスの東洋学者アントワーヌ・ガラン により『千夜一夜物語 』が紹介され、カーリダーサ によるサンスクリット劇 『シャクンタラー姫』は18世紀後半から英独仏語に訳されて、ゲーテ らに影響を与えた。1819年にはフランツ・ボップ により『マハーバーラタ 』から「ナラ王物語 」がラテン語 訳され、続いて各国語に広く訳される。
ラブレー の風刺と嘲笑の物語「ガルガンチュワ」(ギュスターヴ・ドレ 画)
ルネサンス期 には、人文主義者 トマス・モア が理想と風刺 の題材としてのユートピア を著し、フランソワ・ラブレー による民間伝承 を元にした超人的な巨人の王によるグロテスクな笑いの物語「ガルガンチュワとパンタグリュエル 」が民衆の人気を得た。
伝説の再発見
フランス では16、17世紀にはシャルル・ペロー による民話収集などの他、民衆による迷信的な物語の延長上の「不可思議物語」が栄え、18世紀にはジャック・カゾット やサド など、想像力豊かな作品が生み出されていた。グリム兄弟 はドイツの民間伝承を収集して『子供と家庭のメルヒェン 集』(1812年)などとして刊行し、ハイネ も『精霊物語』(1835年)でゲルマン民族 の古代神 を取り上げ、続いて『流刑の神々』(1853年)ではギリシアの神々 について述べ、また詩作に反映した。ルートヴィヒ・ティーク らは、「民衆本」の民話などを題材にして創作したクンスト・メルヘン(芸術童話)を生み、自然礼賛の思想を育んだ。ゴーゴリ は、当時ロシアで流行していた、故郷ウクライナ の伝説を元にした創作『ディカーニカ近郷夜話 』(1832年)で人気を得た。
文学潮流
近代におけるその系譜は、たとえばイギリス のゴシック・ロマンス 、ロマン派 などといった潮流となり、19世紀には後期ロマン派 、特にE.T.A.ホフマン の作品が各国に大きな影響を与えた。
19世紀には、幻想文学論「文学における幻想について」(Rêveries littéraires, morales et fantastiques 、1832)を書いたシャルル・ノディエ や、テオフィル・ゴーティエ ら小ロマン派と呼ばれる作家達が活動し、コント・ファンタスティック(Conte Fantastique)という分野を形成する。またスウェーデンボルグ などの神秘思想 に影響された作品(バルザック 「セラフィタ」など)や、悪魔崇拝 を題材にした作品(ユイスマンス 『彼方』など)も生まれた。ドイツやフランスのロマン派作品が翻訳されたイギリスでは、産業革命 によって押し進む合理主義社会で、人間性回復のための文学として、ジョン・ラスキン などによる妖精物語が復権する。さらにラファエル前派 や、フェビアン協会 のキリスト教的社会主義 の影響を受けながら、昔話とは異なる別世界を舞台にしたチャールズ・キングスレー 、ルイス・キャロル 、ジョージ・マクドナルド などの物語が生み出された。[ 8] 世紀後半には象徴派 のリラダン などによる作品が生まれ、20世紀にはハンス・ハインツ・エーヴェルス (ドイツ語版 ) やフランツ・カフカ など表現主義 作家の作品、アンドレ・ブルトン らのシュルレアリスムや、レーモン・ルーセル の実験的作品が書かれた。ロシア では、ロマン主義や象徴主義の影響を受けた、プーシキン 、ウクライナ の伝説を小説化したゴーゴリ 、チェーホフ 、アレクセイ・ニコラエヴィッチ・トルストイ らの怪奇的、幻想的な作品がある。20世紀にもザミャーチン やブルガーコフ の風刺的な作品が書かれたが、社会主義リアリズム によりほぼ黙殺される状態が続き、ソビエト連邦の崩壊 によってそれらの再評価がなされている。
東アジアの系譜
中国 においては六朝 時代の『捜神記 』などの志怪小説 、唐 代の『遊仙窟 』など多数書かれた伝奇小説 といった伝統があり、元 ・明 代には『西遊記 』が成立し、清 代には『聊斎志異 』が書かれた。日本においては仏教説話集『日本霊異記 』、古代説話を集めた『今昔物語集 』などから、江戸時代 には上田秋成 『雨月物語 』や曲亭馬琴 『南総里見八犬伝 』など怪奇的、伝奇的作品が書かれ、それらのイメージは歌舞伎 や浄瑠璃 を通じて広まった。明治時代にも泉鏡花 、岡本綺堂 などの伝統に基づいた幻想的な作品が書かれ、三遊亭圓朝 の話芸も文学的評価は高い。これらは科学的知見の進歩とともにリアリズムからは徐々に乖離していくが、なおも幻想であることを認識した上での文学作品として現代まで書き継がれている。朝鮮 では17世紀以降『沈清伝 』『洪吉童伝 』など幻想的なハングル小説が書かれ、19世紀末頃からは李朝、日本、独裁政権などの抑圧に抗した寓話的、風刺的な作品が、安国善 、李箕永 、朴養浩 などによって書かれている。現代中国文学では、莫言 の受賞理由となった、作品中に矛盾を孕みながら物語が進展する幻覚的リアリズム や[ 9] 、作家残雪 の独自のリアリズムも、幻想文学に近い位置にあるといえる。
大衆化
ポー 「メエルシュトレエムに呑まれて 」の海の大渦の幻想(ハリー・クラーク 画)
19世紀になると産業革命 によって生まれた都市労働者の読書欲を満たすために、イギリスのペニー・ドレッドフル や、アメリカのストーリー・ペーパー (英語版 ) やダイムノヴェル といった定期刊行物として、廉価な大量生産的大衆小説が数多く生み出され、多くの怪奇小説 や冒険小説 が爆発的な人気を得た。またエドガー・アラン・ポー やジュール・ヴェルヌ などによって科学的驚異による幻想の物語が生まれ、SF として発展を遂げたが、SFと見なされている作品が国際幻想文学賞 を受賞するなど、独自的な幻想を描く文学としても認知されている。推理小説 においても、一見不可能に見える犯罪や奇妙な動機が様々な幻想を喚起することがある。
アフリカ では20世紀以降、エイモス・チュツオーラ 、ソニー・ラブ=タンシ など、口承文学 の伝統を元にしたマジックリアリズム的な文学が生まれている。
日本における受容
曲亭馬琴 『椿説弓張月 』崇徳院 の怨霊(歌川芳艶 画)
大正末から昭和初期にかけて、雑誌『新青年 』などでは江戸川乱歩 や夢野久作 などの怪奇幻想趣味、あるいはエログロナンセンスと呼ばれる作風が一世を風靡し、また日夏耿之介 は「神秘文学」「恠異派文学」として東西古今の怪奇・幻想作品の紹介を行った。国枝史郎 などによって伝奇小説というジャンルも生まれる。
1950年代から澁澤龍彦によるフランス文学 における幻想小説、怪奇小説の紹介、平井呈一 による英米怪奇小説の紹介が始まり、1956年にハヤカワ・ミステリ で『幻想と怪奇 英米怪談集』2巻が刊行。並行して澁澤の創作「犬狼都市」や、中井英夫 「とらんぷ譚」連作などが発表され、1966年に『世界の異端文学』(桃源社)が刊行されて澁澤の存在が注目され、徐々に分野として認知されるようになった。『ミステリマガジン 』誌では1967年から定期的に「幻想と怪奇」特集が組まれ、1968年には『血と薔薇』創刊、1970年代には『ユリイカ 』誌上での澁澤龍彦、種村季弘 、由良君美 らが読者の空想を掻き立て、紀田順一郎 、荒俣宏 編集による『世界幻想文学大系 』が出版される。中間小説 誌でも赤江瀑 や皆川博子 がデビューし、1973年から1974年には雑誌『幻想と怪奇 』が発行、『S-Fマガジン 』誌では山尾悠子 などが見いだされた。1980年頃からは日本の明治以降の文学作品の中における幻想的な作品を幻想文学として位置付けたアンソロジーも出版されるようになり、1983年には季刊誌『幻想文学 』が発刊(2003年終刊)、出版界におけるジャンルの一つとして確立されるに至った。
詩歌の世界においては、中井英夫に見いだされた塚本邦雄 や寺山修司 らの前衛短歌運動により、幻想的な表現が注目された。
1980年代以降では村上春樹 、多和田葉子 、長野まゆみ 、諏訪哲史 などの作品にとりわけ詩的な幻想性がみられる。
幻想文学の賞
その他の作家
アンソロジー
『怪奇小説傑作集 1-5』平井呈一、青柳瑞穂 、澁澤龍彦、植田敏郎 、原卓也 編・訳 東京創元社 1969年
『怪奇と幻想 1-3』矢野浩三郎 編、角川書店 1975年
『日本幻想文学大全 (上)幻想のラビリンス(下)幻視のラビリンス』澁澤龍彦監修、幻想文学会編 青銅社 1985年
幻想小説傑作集(白水社 )
脚注
^ a b ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
^ なお、日本に眼を向けると、日本の『古事記 』にも、そういった要素が含まれている。
^ ツヴェタン・トドロフ『幻想文学論序説』Ⅱ 幻想の定義
^ 篠田知和基編『ノディエ幻想短篇集』岩波書店 1990年
^ 渡辺明正他訳 国書刊行会 1987年
^ 篠田知和基 『フランス幻想文学の総合研究』国書刊行会、1989年
^ 千葉宣一「澁澤龍彦と中井英夫」(『国文學』1984/8月号)
^ 風間賢二 編『ヴィクトリア朝妖精物語』筑摩書房、1990年(編者あとがき)
^ “The Nobel Prize in Literature 2012 ” (英語). NobelPrize.org . 2024年11月29日 閲覧。
参考文献
ルイ・ヴァックス『幻想の美学』窪田般彌 訳、白水社 ・文庫クセジュ 1961年
ジャン=リュック・スタインメッツ『幻想文学』(La Littérature Fantastique ) 中島さおり訳、白水社・文庫クセジュ 1993年
ツヴェタン・トドロフ 『幻想文学論序説』(Introduction à La Littérature Fantastique ) 1970(三好郁朗 訳、東京創元社〈創元ライブラリ文庫〉 1999年)
『西洋中世奇譚集成 東方の驚異』池上俊一 訳、講談社学術文庫 2009年
渡辺一夫 「ルネサンスの二つの巨星」(『世界の名著 17 エラスムス トマス・モア』中央公論社 1969年)
荒俣宏『別世界通信』月刊ペン社 1977年/改訂 イースト・プレス 2002年
須永朝彦 『日本幻想文学史』平凡社ライブラリー 2007年
由良君美 『椿説泰西浪曼派文学談義』平凡社ライブラリー 2012年
『SFファンタジア 4 幻想篇』小松左京 、石川喬司 監修、学習研究社 1978年
『世界幻想文学作家事典』荒俣宏ほか編、国書刊行会 1979年
『世界のオカルト文学 幻想文学・総解説'84』由良君美監修、自由国民社 1983年、のち新版
『幻想文学の手帖』(『國文學 』臨時増刊号)學燈社 1988年、新版2007年
『幻想文学の劇場』(『國文學』臨時増刊号)學燈社 1989年、新版2007年
『日本幻想作家名鑑』東雅夫、石堂藍 編、幻想文学出版局 1991年
出口逸平「幻想・怪奇・ミステリーの図鑑」(『Et Puis』23号「特集 幻想・怪奇・ミステリーの館」)白地社 1991年
関連項目