広島市立袋町小学校
広島市立袋町小学校(ひろしましりつ ふくろまちしょうがっこう)は、広島県広島市中区袋町にある市立小学校。 概要1873年開校の市内でも古くからある小学校。1876年に現在地に移転、更に1度移転し現在地に戻っている。1945年8月6日、広島市への原子爆弾投下により被爆した。 2002年から教科担任制を導入、2007年から広島市教育委員会「ひろしま型カリキュラム」の研究開発の指定を受け、「言語・数理運用科」の研究をしている。 広島原爆で焼け残った旧校舎の一部は現在平和資料館として活用しており、現存する被爆建物の一つである。敷地内の建物は、小学校校舎・平和資料館および袋町児童館・広島市まちづくり市民交流プラザの複合施設となっている。ちなみに小学校が他の公共施設と複合化したのは市内初。 沿革
学区進路卒業生は基本的には広島市立国泰寺中学校に進学する。 著名な関係者
平和資料館
概要鉄筋コンクリート構造地上2階地下1階。延床面積約230m2。元々は西校舎と呼ばれた旧校舎の一部分である。 小学校の敷地内にあり、通常の授業に支障をきたすことがあるため、見学には事前申し込みが必要となっている。 内部一級品の資料として、当時の被爆者が消息などを知らせた伝言が記された壁面を公開している。 その他にも、被爆当時の写真パネル、被災した扉と窓、爆風により飛ばされた太鼓など36点展示されている。 来歴1937年(昭和12年)2月、「西校舎」として鉄筋コンクリート造りの地上3階地下1階の校舎が完成した。水洗トイレやダストシュートも備え、当時としては最新の校舎だった。 1945年(昭和20年)8月6日、被爆。ここは爆心地から約460mに位置した。RC構造の西校舎を残し、他の校舎は崩壊、西校舎も外郭のみを残す状況となった。多くの生徒は疎開して難を逃れていたが、当日登校していた生徒160人・職員16人のほとんどは一瞬にして亡くなった。翌7日、ここは臨時病院・救護所となり、マルセル・ジュノーや島薫も駆けつけた。 その後、校舎は最低限の補修を施され、翌1946年(昭和21年)6月には授業が再開した。 補修工事を繰り返し長く使われていたが、老朽化により2000年(平成12年)8月7日より解体作業が行われた。この際に壁の漆喰や黒板の下から、救護所として使われた際に書かれた避難した人の消息を伝える数多くの被曝伝言が発見され、保存計画を見直された。2001年(平成13年)8月暫定公開を開始、2002年(平成14年)4月に平和資料館として正式に開館した。 まちづくり市民交流プラザ2002年5月に開館。延床面積5845m2。市民の生涯学習やボランティア活動などの支援目的に、会議室・ギャラリー・視聴覚室などの部屋・空間を貸し出している。 南棟と北棟の2つの建物からなり、北棟は袋町小学校と袋町児童館との複合施設となっている。2つの棟はスロープで繋がっており、そのスロープの下に平和資料館がある状況である。 2015年6月1日より広島市に本社を置くマンション管理業、合人社グループが命名権を取得し、「合人社ウェンディひと・まちプラザ」の名称となる。 交通
脚注
関連項目外部リンク
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