恋はデジャ・ブ
『恋はデジャ・ブ』(こいはデジャ・ブ、原題:Groundhog Day)は、1993年に製作されたビル・マーレイ主演のアメリカ映画。アメリカ国立フィルム登録簿に永久保存登録されている。 超常現象によって閉じた時間の中に取り残され、田舎町の退屈な祭事の日を際限なく繰り返すことになった男性が、己の高慢で自己中心的な性格を改めて恋を成就させるまで[2]を描く。 原題の「グラウンドホッグデー」とは、物語の舞台となるペンシルベニア州の町パンクスタウニーなど各地で行われているアメリカの伝統行事で、物語はこの行事が行われる2月2日の6時00分から、翌朝の5時59分にかけての24時間を反復しながら進行する。 邦題の中の「デジャ・ブ」は、実際は一度も体験したことがないのに、すでにどこかで体験したことのように感じる現象を意味するフランス語の「déjà-vu(既視感)」から。 2016年にロンドンで、2017年にブロードウェイで、ミュージカル作品が上演された[3]。 あらすじ人気気象予報士フィル・コナーズは仕事仲間のリタ・ハンソンおよびラリーとともに、毎年2月2日の聖燭節に行われるグラウンドホッグデーを取材するため、田舎町であるペンシルベニア州パンクスタウニー[2]に滞在していた。グラウンドホッグデーとはウッドチャック(グラウンドホッグ)が自分の影を見て冬眠するかどうかを観察することによって、春の到来の時期を占う伝統的な祭事であるが、フィルにとってこの田舎行事の退屈さは耐え難く、当然身も入らない。嫌々ながら一日を終えた彼は、都会への帰途、天候の急変により前日の宿に泊まることになった。 ところが翌朝、フィルが目を覚ますと、その日はまたしても2月2日のグラウンドホッグデーであった。フィルは昨日と同じ振る舞いを繰り返す人々や仕事仲間に既視感を覚えつつ、2度目の取材を終えるが、翌朝もまた同じ2月2日が繰り返される。理由も分からず時間のループに留め置かれ、天候のためパンクスタウニーの町を出ることもできないフィルは、トラブルを起こし警察に逮捕されるが、やはり翌朝も同じ宿のベッドの上で2月2日を迎える。 フィルは、前日の失敗をなかったことにして何度でもやり直せるという自分だけの特権を活用し、町の人々のプロフィールや1日の行動を調べていく。そうして得た情報を用いて行きずりの異性を口説き落としてみたり、犯罪を成功させて大金を得たりしながら満足を得ようとする。 しかし仕事仲間のリタを口説き落とすことに何度も失敗するうち、やがてフィルは際限なく繰り返されるグラウンドホッグデーの1日に嫌気が差してしまう[2]。ベッドの横に置かれた目覚まし時計を壊しても、祭事に用いるウッドチャックをさらって町からの脱出を試みても、ループを抜け出すことは叶わない。フィルは自暴自棄になって自殺を試みるが、どのような手段で自殺しても結局は2月2日の朝に同じ宿のベッドで目覚めるのであった。 あるときリタに自分の事情とループで得た知識を明かしてみせたフィルは、彼女との交流を通して気を取り直す。その後、フィルは今までの態度を改め[2]、他人に気前良く大金を配って回ったり、無尽蔵の時間を生かしてピアノを習ってみたり、寿命でその日に死ぬ運命にある老人を救うことには失敗しつつも、その日に起こる些細な事故やトラブルから人々を守ってみたりという日々を送るようになる。 やがてフィルは1日にしてパンクスタウニーの人々から尊敬を集める存在となり、リタからの愛も勝ち取る。その夜リタと一夜を共に過ごしたフィルは[2]、なぜか翌朝になってもリタが共にいて、日付も2月3日に進んでいることに気がつく。フィルはループからの脱出に成功したことに狂喜しつつ、リタと共にパンクスタウニーに永住することを決意するのであった。 登場人物「演」は演じた俳優を、「声」は日本語吹替版の声優を指す。
スタッフ
作品解説タイムトラベル物語のうちの「ループもの」の代表的な作品である[6]。なお、過去に戻って人生を繰り返す「ループもの」の作品としては、本作の以前にもケン・グリムウッドの小説『リプレイ』などがある[7]。 作中で繰り返される同じ1日の回数は、最初の脚本では数千年以上続くという設定であったが、最終的な映画ではループの年月は明らかにされないまま終わる。 ビル・マーレイとハロルド・ライミスは1974年以来長年に渡って良い関係にあったが、この映画の撮影中に仲違いをしたことでも知られる[8][9]。 ロケーション物語の舞台となるペンシルベニア州パンクスタウニーは実在する町で、作中に登場するグラウンドホッグデー(地ネズミの日)という行事も、毎年2月2日にパンクスタウニーで行われている行事である。映画はこの行事を有名なものにしたといわれる[5][4]。なお映画の日本語訳版では、「グラウンドホッグデー」という単語は「聖燭節」(=キャンドルマス)に置き換えて訳されている。 大部分の撮影はパンクスタウニーではなく、イリノイ州シカゴの北西にあるウッドストックで行われた。冬場の気温は氷点下だったため多数の住人が出演者やスタッフにヒーターを提供するなどして撮影に協力した。 映画に何度も登場するティップトップ・カフェは撮影のためにつくられたが、地元住民の要望で撮影後に実際のカフェとして存続することになり、その後イタリア料理店になった。2010年現在は廃業しており、建物のみが残っている。 ウッドストック・グラウンドホッグデー協会は映画のロケ地マップを公開しており、祭が行われた公園、ティップトップ・カフェ、ネッドが現れる場所、リタとラリーが滞在したホテル、老人が亡くなる路地裏、映画館、ボウリング場等は当時の面影を残したまま存在している。 ラストシーン撮影終盤、ラストシーン(時間のループから抜け出して朝目覚めるシーン)の服装をどうするかで監督のハロルド・ライミスと主演のビル・マーレイの意見が対立した。 ビルはハロルドに「このシーンの撮影は服装が決まるまで断る。昨夜と同じ服なのかパジャマなのか何も着ないのか?」と強く迫った。このシーンの服装は、昨夜フィルとリタの間に何があったかを暗示するからであるが、ハロルドは特にアイデアを持っておらず、ビルの質問に答えることができなかった。 そこでハロルドは出演者とスタッフに「同じ服」か「パジャマ」かの多数決を取ったが、意見が五分五分に分かれてしまった。すると初めて映画製作に関わったADの少女が「フィルは絶対に昨夜と同じ服を着るべきです。もし違う服ならばこの映画を台無しにしてしまいます」と言ったので、ハロルドが彼女の意見を採用してラストシーンは「同じ服」に決定した。リタの「昨日は何もしなかったのに」というセリフが示すように『関係』がなかったことを明示させた。[10] 反響・評価もともとはロマンティックコメディとしてマーケティングされたが、後に「人間の幸福は自分の中をいくら追求しても求められるのではなく、他人の幸福によって得られる」といった宗教的哲学的な面から本作が語られることが多くなった。 映画評論家町山智浩は、監督・脚本のハロルド・ライミスがDVDのコメンタリーでニーチェに影響されたと語っていることにふれ、この作品はニーチェの永劫回帰思想をたったの100分で表現しきっていると言ってもよいのではないだろうか、と賛辞を呈した[4]。 備考映像ソフト
仕様
脚注
関連項目
外部リンク
|