摂津 糸千代丸(せっつ いとちよまる、天文22年(1553年) - 永禄8年5月19日(1565年6月17日))は、室町幕府13代将軍・足利義輝の家臣。
生涯
三好三人衆によって企てられた永禄の変の際、主君である義輝と共に討たれた[1]。
糸千代丸は幼名であり、13歳で死去したため、元服前であったと考えられている。
父である摂津晴門も政所執事として義輝に仕えていたものの、永禄の変に巻き込まれることはなく、後に15代将軍・足利義昭の政所執事として再度起用されている。ただ、晴門の子は糸千代丸だけであったようで、摂津氏嫡流は糸千代丸で断絶することになった[注釈 1]。
脚注
注釈
- ^ 木下昌規によれば、摂津晴門は元亀2年(1571年)以降、記録に登場せず、代わりに伊勢貞興が政所執事に任ぜられていることから、同年に死去もしくは引退したとする。その後、木下聡が元亀3年(1572年)に晴門が足利義昭の使者を務めていることを示す『お湯殿の上の日記』の記事を紹介したが、これ以降の記録がないためこの頃に死去した可能性を指摘している。なお、木下聡は摂津晴門が享禄元年(1528年)に従五位下中務大輔に任ぜられていることから、永正年間前半の生まれで元亀年間には60代になっていたと推測しており、糸千代丸は晴門にとっては遅く生まれた子になる。
出典
参考文献