監督にはマーヴィン・ルロイを起用することが決まったが、制作は先延ばしになった[8]。ルロイによると制作が先延ばしになったのは、ランドの反ロシア的立場に刺激された戦時生産委員会(War Production Board)が干渉してきたためであった[5]。バーバラ・スタンウィックが切望していたドミニク役には、パトリシア・ニールが起用されることが決まった。スタンウィックはこの起用を知らされておらず、業界紙で初めて知った。このことがきっかけで、スタンウィックはワーナー・ブラザースとの専属契約を解除した。
クリス・マシュー・シャバラ(Chris Matthew Sciabarra)は、この映画の背景音楽がいかに適切であったかを分析し、「スタイナーは映画音楽の真の設計者であり〔……〕映画音楽の“水源”と呼んでいいかもしれない。〔……〕これらの背景音楽を聞くだけで、ハワード・ロークの物語が思い浮かぶ」の述べた[8]。シャバラはこの映画の音楽を論じた記事の中で、哲学研究者のグレン・アレキサンダー・マギー(Glenn Alexander Magee)の「スタイナーが作曲した背景音楽は、この作品と非常に親和しており、原作の感覚を完璧に伝えている」という言葉を引用している[8]。マギーは、スタイナーの音楽はこの物語に存在する救済と再生のテーマを強調しており、ロークの抵抗、ドミニクの生命感、ワイナンドの疵瑕への洞察を与えると示唆している[8]。
ドミニクを演じたパトリシア・ニールは、この映画が公開される直前、ミルトン・バールと共にNBCテレビの番組『ハリウッド・コーリング』(Hollywood Calling)に出演し、彼女が出演する『摩天楼』やバールが出演する『テレヴィジョンの王様』(Always Leave Them Laughing)を含む新作映画について語った[13]。この映画の封切りプレミア上映会は、ワーナー・ハリウッド・シアター(Warners Hollywood theater)で行われた[14]。パトリシア・ニールはカーク・ダグラスにエスコートされてプレミア上映会に現れ、ファンにサインした[13]。「ロサンゼルス・タイムズ」紙には、「この作品の風変わりな要素の数々に、観客は強く反応した」と書かれた[5]。プレミア上映会の終了後、ニールは多くの人々が自分を避けていることに気づいた。唯一の例外だったヴァージニア・メイヨ はニールに近づき、「お芝居、下手だったわねぇ(My, weren't you bad!)」と叫んだ[5]。主役を演じたゲイリー・クーパーは、映画を通して見て、自分が演じた終盤の演説が満足の行く出来ではなかったと感じた[7]。原作のメッセージに駆り立てられ、クーパーとニールは自分達の不倫関係がおおやけになるのを許した。二人の不倫関係が広く知られるようになったことは、この映画の興行成績にいくらかの悪影響をもたらした[7]。
しかしこの映画によって原作への関心がかきたてられた結果、小説『水源』の売上は伸びた[7][8]。映画の公開時点での原作者ランドの反応は好意的だった。ランドは手紙の中で、「この映画は、これまでハリウッドで小説を原作に作られたどの映画よりも、原作に忠実に作られている」[15]と書き、「この映画化は大きな勝利だった("It was a real triumph")」とまで書いた[15]。友人のデウィット・エメリー(DeWitt Emery)への手紙では、「ゲイリー・クーパーはもっと強い演技をするべきだったとあなたが感じるのも、もっともだとは思う」と認めながらも、「ロークはわざとらしい演技で大げさに演じられるよりも、抑え目に演じられた方がいいと私は思う」と結論づけた[15]。しかし、後にこの映画に対する彼女の評価は否定的になり、「この映画は始めから終わりまで嫌い」と語り、編集や演技など様々な要素に不満を述べるようになった[3]。ランドはこの映画化の経験から、監督・脚本家の選択権と編集権を認められない限り、自分の小説の映画化権は絶対に売らないと宣言した[16]。
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