日本狂詩曲日本狂詩曲(にほんきょうしきょく 英語:Japanese Rhapsody)は、伊福部昭が作曲した管弦楽のための狂詩曲[1]。1935年完成。2楽章形式。演奏時間は約15分。 作曲の経緯と初演→「伊福部昭 § 来歴」も参照
伊福部が北海道帝国大学を卒業してすぐに、友人の三浦淳史が文通していた指揮者ファビエン・セヴィツキーに献呈する為に書いた曲[2]で、彼の初めての管弦楽曲として知られる。本来はヴァイオリンと36の打楽器のための協奏曲として構想されていた。この曲によりアレクサンドル・チェレプニン主催の作曲コンクールであるチェレプニン賞第一席を受賞し、楽壇にデビューを飾ることとなる。 1936年4月5日、ファビエン・セヴィツキー指揮、ボストンピープルズ交響楽団によりボストンのニューイングランド音楽院ジョーダン・ホールにて初演[3]。当地の各新聞の批評欄において絶賛された。1939年6月18日、小船幸次郎がフィンランド放送交響楽団を指揮した放送コンサートにおいて第1楽章「夜想曲」が放送されたが、放送を聴いたシベリウスが小船に電話をかけ、伊福部の「夜想曲」を褒めたという[1][2]。 編成通常の三管編成であるが、打楽器9人、ハープ2台、ピアノ1台を要する。 なお、打楽器パートでは民族楽器が必要となるが、スコア上では西洋打楽器でも代用が可能となっている。
曲の構成当初は3楽章形式であったがチェレプニン賞の応募規定に合わせるため、当初第1楽章であった「じょんがら舞曲」をカットした。これは後に交響譚詩の第2楽章で使われた[4]。 現行の版が決定稿であり、第1楽章「夜想曲」、第2楽章「祭」の2つの対照的な楽章からなる。
楽譜楽譜はチェレプニン・コレクションNo.24として出版された[5]。 日本初演と再演日本での舞台初演は作曲から9年後の1944年9月27日に日比谷公会堂に於いて、東京交響楽団 (現東京フィルハーモニー交響楽団) 第31回定期演奏会で金子登の指揮により行われた[6]。 その後は1971年1月27日に神奈川県立音楽堂で行われた、小船幸次郎指揮の横浜交響楽団第262回演奏会[7]、そして1980年5月13日に東京文化会館で行われた、山田一雄指揮の新星日本交響楽団第40回定期演奏会[8]が続いている。 編曲版作曲者によるピアノ独奏版(2004年)がある。ピアニスト川上敦子の求めに応じたもので、同年5月、川上により初演された[9]。 脚注
|