春陽会(しゅんようかい)は、1922年(大正11年)1月14日に設立された[1]在野の洋画団体の一般社団法人である[2]。
創立
院展の日本画部と対立[注 1]、脱退した洋画部同人[注 2]を中心に創立された。創立時のメンバーは、足立源一郎[10][11][12]、倉田白羊[10][13][14]、小杉放庵[10]、山本鼎[15]、森田恒友[16][注 3]、長谷川昇[23][24]ら6人の日本美術院洋画部系の画家と、草土社系の岸田劉生[25]、木村荘八(元・院展洋画部)[26][27][28][29]、中川一政[25][30][注 4]、そのほか萬鉄五郎[35][36]、石井鶴三[37]、梅原龍三郎らだった。その後、梅原と岸田は脱会し、河野通勢[38]や岡本一平[39]らが参加。
1925年の展覧会では裸婦像をめぐり公序良俗を乱すと批判された[40][41]、國盛義篤ほかが受賞した[42]。
春陽会の参加者は第二次世界大戦後の1947年、日展への出品を控えた[43]。
特徴
東洋画風の手法や発想に立つ画風を有し[44][17][18]、特定の主張をせず、前衛的作品が多い[40][41][要出典]。
定期展覧会
設立された1922年の翌年以降、例年春に展覧会を開催する[注 5]。
2023年には第100回を迎え、100回記念シンボルマークの公募や記念事業[注 6]が実施された[注 7]。
主な出版物
- 展示目録
- 『春陽展画集』
参考文献
主な執筆者、編者の順。
岡本一平「春陽会の自家評と国展の傍觀評」『美術新論』第7巻第6号、美術新論社、1932年6月、94-97頁、doi:10.11501/1553003。
木村莊八「春陽会の主張」『我觀』5(3月号)、我觀社、1924年3月、238-、doi:10.11501/11206095。
木村荘八「春陽会」『自伝的随筆』講談社〈木村荘八全集 第7巻〉、1982年11月。doi:10.11501/12494782。https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001591542。 ISBN 4-06-144927-3
春陽会『春陽会画集 紀元2602年版』新潮社、昭和17年(1942年)。doi:10.11501/1125030。https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I000000684328。
00画家の50音順。
- 足立源一郎「〈原色版〉21 臺北の娘」(昭和12年)
- 足立源一郎「〈写真版〉1 会津駒ケ嶽」(昭和17年)
- 石井鶴三「〈原色版〉3 岩の湯」(昭和15年)
- 伊藤慶之助「〈原色版〉6 姑娘」(昭和15年)
- 伊藤慶之助「〈写真版〉2 大同石佛(第20洞)」(昭和17年)
- 今関啓司「〈原色版〉5 牡丹」(昭和15年)
- 上野春香「〈写真版〉16 ランプのある静物」(昭和15年)
- 大澤鉦一郎「〈写真版〉12 花と少女」(昭和15年)
- 岡鹿之助「〈原色版〉20 積雪」(オーヴェルニュ)(昭和10年)
- 岡鹿之助「〈写真版〉5 花籠」(昭和17年)
- 加山四郎「〈原色版〉17 秋の庭」(昭和16年)
- 川端彌之助「〈原色版〉22 窓外風景」(昭和7年)
- 川端彌之助「〈写真版〉13 琉球糸滿」(昭和16年)
- 木村莊八「〈写真版〉10 椿」(昭和14年)
- 木村莊八「〈原色版〉9 三番叟」(昭和15年)
- 國盛義篤「〈原色版〉8 桃」(昭和15年)
- 國盛義篤「〈写真版〉15 静浦」(昭和16年)
- 倉田三郎「〈原色版〉4 ラグビー」(昭和15年)
- 栗田雄「〈原色版〉12 秋意」(昭和14年)
- 小穴隆一「〈原色版〉2 花」(昭和14年)
- 小栗哲郎「〈写真版〉4 小川」(昭和7年)
- 小杉放庵「〈原色版〉1 僧」(昭和14年)
- 小杉放庵「〈写真版〉8 古事記之内(宇受売ノ命)」(昭和16年)
- 小林徳三郎「〈原色版〉19 窓辺の子供」(昭和11年)
- 小林徳三郎「〈写真版〉19 江の浦」(昭和16年)
- 齋藤清二郎「〈写真版〉17 夏祭即興」(昭和16年)
- 高木勇次「〈写真版〉二〇 石切端」(昭和107年)
- 高田力蔵「〈写真版〉9 アクロポリスを望む」(昭和13年)
- 高田力蔵「〈原色版〉11 野馬追ひ(勢揃ひ)」(昭和17年)
- 田川勤次「〈写真版〉11 橋のある風景」(昭和12年)
- 田中善之助「〈原色版〉18 舞妓」(昭和17年)
- 鳥海青兒「〈写真版〉7 信州の畑」(昭和11年)
- 鳥海青兒「〈原色版〉10 揚子江と漢陽」(昭和14年)
- 中川一致「〈写真版〉18 静物」(大正14年)
- 中川一政「春陽会画集出版に就て」
- 中川一政「〈原色版〉14 徒然の女」(昭和17年)
- 新沼杏一「〈写真版〉3 聽樂」(昭和12年)
- 長谷川潔「〈原色版〉23 花(版画)」(昭和17年)
- 原精一「〈写真版〉14 胡弓の女」(昭和17年)
- 前田藤四郎「〈原色版〉13 琉球の魚売り」(昭和14年)
- 水谷清「〈原色版〉24 印度婦人」(昭和14年)
- 森田勝「〈原色版〉16 黒い手袋の女」(昭和17年)
- 横堀角次郎「〈原色版〉15 郷里の秋」(昭和17年)
- 若山爲三「〈原色版〉7 白馬」(昭和16年)
- 和田歳一「〈写真版〉6 琉球舞踊」(昭和17年)
萬鉄五郎『鉄人画論』中央公論美術出版、1968年。doi:10.11501/2516639。https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001107385。
- 「春陽会に加盟した事に就いて」41頁。
- 「春陽会員の見たる二科の三作細評」192-199頁。
萬鐵五郎「表紙絵「もたれて立つ人」」『美術新論』第8巻第10号、美術新論社、1933年10月、doi:10.11501/1553019。「(前略)「静物」などを発表した。7年には院展の(中略)どん描いたものである。その大部分は大正5年頃日本美術家協会で発表し、一部は旧の院展洋画部に出品した。帰郷0萬が一家をあげて郷里の岩手県土沢へ帰ったのはいつであるか正確には(後略)」
『近代の美術』第29号。「(前略)再び『履歴書』をたどろう。雑誌『中央(中略)6年には院展洋画部に出した外二科会に「もたれて立つ人」」 [52]
「口絵 写真版 萬鐵五郎「もたれて立つ人」」『美術手帖』第76号、カルチュア・コンビニエンス・クラブ、1953年12月、57頁、doi:10.11501/7923634。
萬鉄五郎、小出楢重、古賀春江、宮川寅雄『9 もたれて立つ人 1917 油彩』 9巻、講談社〈講談社版日本近代絵画全集〉、1963年、14頁。doi:10.11501/8798713。https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I000000940457。「9 「もたれて立つ人」1917 油彩」
脚注
注釈
出典
- ^ “沿革”. 一般社団法人 春陽会. 2024年3月17日閲覧。
- ^ 田中 2005, pp. 163-, 「春陽会 : その成立と源流」
- ^ 『三岸好太郎・長谷川利行・靉光』 1963
- ^ 村山 1921a, 「乞食と女(油)」
- ^ 村山 1921b, 「乞食と女(油)」、「乞食と女のエスキース(素描)」
- ^ 『近代の美術』 1979, ○9月
- ^ 萬 et al. 1963, p. 14, 「9 もたれて立つ人 1917 油彩」
- ^ 『美術新論』 1933, 表紙絵「もたれて立つ人」萬鐵五郎
- ^ 『美術手帖』 1953, p. 57, 口絵 写真版 萬鐵五郎「もたれて立つ人」
- ^ a b c 東京セントラル美術館 1973, 「春陽会50年の歩み」展
- ^ 『現代日本作家之部 洋画家篇(下巻)』 1930, 「1 足立源一郎(春陽会員)」
- ^ 森田 1934, pp. 86–87, 「足立源一郎君の作品」
- ^ 『現代日本作家之部 洋画家篇(下巻)』 1930, 「10 倉田白羊(春陽会員)」
- ^ 春陽会 1942, 足立源一郎「〈原色版〉21 臺北の娘」(昭和12年)
- ^ 『現代日本作家之部 洋画家篇(下巻)』 1930, 「20 山本鼎(春陽会員)」
- ^ 『現代日本作家之部 洋画家篇(下巻)』 1930, 「14 森田恒友(春陽会員)」
- ^ a b 森田 1934, pp. 225–226
- ^ a b 森田 1934, pp. 335–337
- ^ 森田 1934, pp. 350–351
- ^ 森田 1934, pp. 346–347
- ^ 森田 1934, pp. 352–355
- ^ 森田 1934, pp. 314–317, 「春陽会展雜感」
- ^ 長谷川, pp. 118–119, 「団体展創設の思い出 春陽会創立前後」
- ^ 『現代日本作家之部 洋画家篇(下巻)』 1930, 「3 長谷川昇(春陽会員)」
- ^ a b c 【特設】100回記念情報 2024, 【100回記念事業】それぞれの闘い : 岸田劉生、中川一政から岡鹿之助へ
- ^ 鈴木 19510「当時の院展洋画部では木村莊八氏もまたリンゴと壺ばかりの作品を6、7点(後略)」
- ^ 木村 1924, pp. 238-, 「春陽会の主張」
- ^ 『現代日本作家之部 洋画家篇(下巻)』 1930, 「6 木村莊八(春陽会員)」
- ^ 春陽会 1942, 木村莊八「〈原色版〉9 三番叟」(昭和15年)
- ^ 中川 1926, 「新時代の女性に望む資格のいろ」
- ^ 春陽会 1942, 中川一政「春陽会画集出版に就て」
- ^ 春陽会 1942, 中川一政「〈原色版〉14 徒然の女」(昭和17年)
- ^ 春陽会 1942, 中川一致「〈写真版〉18 静物」(大正14年)
- ^ 春陽会 1942, 中川一政「〈原色版〉14 徒然の女」(昭和17年)
- ^ 萬 1968, p. 41, 「春陽会に加盟した事に就いて」
- ^ 萬 1968, p. 192-199, 「春陽会員の見たる二科の三作細評」
- ^ 木村 1924, 石井鶴三「〈原色版〉3 岩の湯」(昭和15年)
- ^ 『現代日本作家之部 洋画家篇(下巻)』 1930, 9 河野通勢(国画会員)
- ^ 岡本 1932, pp. 94–97
- ^ a b c 『新聞集成大正編年史』(1925年) 1987, p. 865, 「裸婦画2点さつそく撤去・春陽会」
- ^ a b c d 『新聞集成大正編年史』(1925年) 1987, p. 880, 「画展めぐり・春陽会他」
- ^ a b 『新聞集成大正編年史』(1925年) 1987, p. 1000, 「春陽会で授賞の4人・國盛義篤他」
- ^ 『新聞集成昭和編年史』(1947年) 1999b, p. 156
- ^ 森田 1934, pp. 177–181, 「東洋の精神」
- ^ 『春陽会美術展覽会目録』 1923
- ^ 『春陽会展図録』 1934
- ^ 『春陽会展出品仮目録』 1956
- ^ 東京セントラル美術館 1973
- ^ 『挿絵の魅力 : 三岸好太郎と春陽会の画家たち』 1991
- ^ 【特設】100回記念情報, 2024 & 【特設】100回記念情報 2024, 公募 春陽会100回記念展シンボルマーク : 2024年3月16日(土)–5月12日(日)
- ^ 『第12回春陽会展図録』1934年(昭和9年)、doi:10.11501/1233936。
- ^ 『美術新論』 1933, 「表紙絵「もたれて立つ人」萬鐵五郎
関連項目
外部リンク
|