松平 容貞(まつだいら かたさだ)は、江戸時代中期の大名。陸奥国会津藩4代藩主。官位は従四位下・侍従兼肥後守、左近衛権少将。会津松平家第4代。
生涯
松平正容の八男として誕生。
享保16年(1731年)、父・正容の死去に伴い家督を相続する。享保20年(1735年)、8代将軍・徳川吉宗に拝謁し、 従四位下侍従兼肥後守に叙任。元文5年(1740年)、左近衛権少将に転任。寛延2年(1749年)12月、農民達による打ち壊しが発生し城下に及び、本年分の年貢の半減しこれを鎮めた。
寛延3年(1750年)、死去。享年27。家督は長男・容頌が継いだ。
系譜
父母
正室
側室
- 貴養 ー 三田伊皿子の商家館新兵衛の娘
- 安恵氏
- 中村氏
子女
- 松平容頌(長男)生母は貴養(側室)
- 松平貞歴(次男。1746年 - 1755年)生母は貴養(側室)
- 員、輪光院 ー 稲葉正弘正室、生母は中村氏(側室)
会津松平家 会津藩4代藩主 (1731年 - 1750年) |
---|
蒲生家 | |
---|
加藤家 | |
---|
会津松平家 | |
---|
酒井家 | |
---|
1869年、明治政府民政局による直轄地となる。 |