森永博志森永 博志(もりなが ひろし、1950年 - )は、日本の編集者、作家。創刊当時の『POPEYE』『月刊PLAYBOY』『BRUTUS』で特集記事を担当していた編集者としても知られる。編集者としての代表作は『南海の秘宝』、『小説王』、山川惣治『バーバリアン』、上村一夫『菊坂ホテル』、吉田カツ『ラウンド・ミッドナイト』、布袋寅泰CDブック『よい夢を、おやすみ。』、『PATAGONIA PRESENTS』、『森羅/TRIP TO THE UNIVERSE』など。代表的な著書は『原宿ゴールドラッシュ』『ドロップアウトのえらいひと』。 経歴1950年、東京国立に生まれる[1]。父親は国鉄で新幹線開発に携わるエンジニアであった[1]。1967年に田名網敬一の作品とローリング・ストーンズの音楽に出会い衝撃を受け、家を出て高円寺に行く[1]。都立昭和高校を中退、職を転々としながら19歳のときに渋谷区南平台のコミューン「アップルハウス」のメンバーとなる[2]。その後、小暮徹に誘われヤマハの『ROCK VOICE』紙の編集をしたり、アップルハウスのすぐ隣りにあった広告制作会社の「アド・センター」で働くようになる[1]。 本格的な編集生活に入るのは1975年頃で、久保田二郎の紹介で八曜社に入り泉谷しげるの写真集『百面相』や、吉田拓郎のつま恋コンサートの写真集、松方弘樹の『きつい一発』などを担当、またフォーライフ・レコードが創刊した音楽雑誌『フォーライフ・マガジン』の編集長を2年ほど務める[3]。 27歳で、NHK・FM『サウンド・ストリート』のパーソナリティとなる[2]。その後、創刊したばかりの『BRUTUS』で特集記事の仕事をやるようになり、それを読んだ角川書店から声がかかり『スネークマンショー 核シェルターブック』の編集に携わる[4]。その成功を受けて、後藤繁雄を誘い文芸誌『小説王』を創刊、荒俣宏を『帝都物語』で小説家デビューさせ、また上村一夫の作品などを掲載する[4]。なお、雑誌創刊に当たっての角川書店側からの注文は山川惣治の復活だけだったそうである[4][注釈 1]。 36歳の時「クリームソーダ」の創設者山崎眞行の自叙伝で初の単行本『原宿ゴールドラッシュ』を出版[2]。 親族曾祖父は日本郵船の太平洋航路の船長。 父は新幹線開発の主要メンバー。 弟は国立図書館主任。 甥っ子はアパレルのANREALAGE代表。 もうひとり甥っ子はCOTTON CLUBブッキングディレクター。 著書
作詞
参考文献
脚注注釈出典外部リンク関連項目 |