正木 直太郎(まさき なおたろう、安政3年11月9日(1856年12月6日) - 昭和9年(1934年)4月20日)は日本の教育者。
生涯
信濃国上田藩士、正木六郎左衛門の長男として上田城下に生まれる。1864年藩校明倫堂に学ぶ。1874年上京して同人社で英学を学び、1882年東京師範学校中等科を卒業。1884年旧制郡立小県中学校(長野県上田高等学校)校長に就任、1886年長野師範学校教諭となり、1893年同校長に就任し、信濃教育会長も務める。1899年埼玉師範学校長、1901年香川師範学校長を歴任するが、教科書裁判に連座し休職となった(のちに無罪)。
1904年弘文学院教授、のち清国安慶高等師範学堂に招かれ、1913年帰国。小諸町立小諸実科高等女学校(長野県小諸高等学校)の創設に務め校長となる。
次男の俊二は作家、医師。
参考文献
- 『長野県歴史人物大事典』[1] 郷土出版社、1989年
- 『教育功労者列伝』信濃教育会
- 『六六日記』[2] 新樹社、1988年
脚注