武井武雄武井 武雄(たけい たけお、1894年〈明治27年〉6月25日 - 1983年〈昭和58年〉2月7日)は、童画家、版画家、童話作家、造本作家である。 童話の添え物として軽視されていた子供向けの絵を「童画」と命名し、芸術の域にまで高めた。武井武雄の童画は、大胆な構図や幾何学的な描線によって、モダンかつナンセンスな味わいを感じさせ、残された作品はいまもって古びていない。『コドモノクニ』をはじめとした児童雑誌の挿画、版画、図案(デザイン)、おもちゃの研究・創作「イルフ・トイス」、本自体を芸術作品と捉えた「刊本作品」、童画批評など多岐多彩な分野で作品を残した。 生い立ち長野県諏訪郡平野村(現岡谷市)西堀の裕福な地主の家に生まれる(父:慶一郎、母:さち)。武井家は諏訪藩で御中小姓を代々務め、藩の御用のかたわら、私塾(無事庵)を開き地域の子ども達の教育に熱心に取り組んだ。武雄の父慶一郎も平野村長を務めるなど地域に貢献した人物であった。その慶一郎の一人息子である武雄は、幼い頃は病弱で、多くの時間を家の中で過ごし、友達も少なかった。そこで空想の中に「妖精ミト」という友達を創り出し、童話の世界で一緒に遊んでいた。この経験は、生涯武井の中から消えることはなく、童画を描く原点になったのではないかといわれている。 年譜
刊本作品刊本作品とは本をその内容である絵、話だけではなく、印刷、装幀、函の全てにおいて表現の一つであると捉え制作された作品である。それ故に作品ごとにその装幀が異なり、そのこだわりは紙の繊維を得るためにパピルスを栽培したというものまである。その美しさから「書物の芸術」「本の宝石」と呼ばれる。当初は「豆本」としていたが、42号以降が「刊本作品」とされている。「親類」と呼ばれる約300名の会員にのみに実費で頒布されたため、各々の本に通し番号がついており、図書館などへの収蔵も少なく「幻の美書」となっている。初号は昭和10年の「十二支絵本」で、通算139作が制作された。 イルフ・トイスイルフとは、古い(フルイ)の反対で新しいという意味の武井による造語。新しい様式のおもちゃの創造することをめざしていた。 主な著作
挿画・装幀など
ほか多数 関連施設美術館など
生家岡谷市西堀の生家は、元禄時代の建築[2]ともいわれ、長野県諏訪地方では現存する一番古い民家ではないかといわれていた。長野県の中・南信地方の代表的な建築様式である本棟造である。諏訪高島藩の武家住宅で現存しているものは三棟しかなく、武井武雄生家は主屋、長屋門、前栽畑及び土蔵(土蔵については取壊し済み)がセットで残っており、全国的にも貴重な建築物であった。その一方で、教員住宅として内部が改装された経緯があり、価値については疑問視する声もある。 2008年5月、土地建物が岡谷市に寄贈されたが、岡谷市は老朽化を理由に取り壊す方針であった。この方針に反対する署名が6,032筆集まり[3]、2014年9月25日に岡谷市長あて「武井武雄生家の保存と活用を求める要望書」とともに提出されたが、2019年、隣接する西堀保育園を建て替えるため取り壊された。 脚注
参考書籍
関連書籍
関連項目外部リンク
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