武平(ぶへい)は、南北朝時代の北斉において、後主の治世に使用された元号。570年 - 576年。
578年、北斉の范陽王高紹義が、北斉滅亡後に突厥を頼って北辺に逃れ、営州の高保寧が北斉皇帝と奉じた際にも、武平の年号を使用している。『北斉書』や『北史』では「武平元年」と扱っているが、『廿二史考異』では後主の年号を沿用したと考証しており、武平8年を欠年とし、578年を「武平9年」と扱う。