沼風(ぬまかぜ)は、日本海軍の駆逐艦。峯風型の15番艦(野風型3番艦)である。艦名は「沼に吹く風」に由来する[1]
艦歴
舞鶴海軍工廠で建造。一等駆逐艦に類別され、横須賀鎮守府籍に編入。1922年(大正11年)12月28日より同型艦「野風」「波風」、神風型駆逐艦 (2代)「第一駆逐艦」(「神風」)と第1駆逐隊を編成し、千島、北海道方面の交通保護に当った。
1933年(昭和8年)3月3日に発生した昭和三陸地震のとき、沼風は横須賀港にあり、第1駆逐隊の僚艦神風・野風、第6駆逐隊の電・雷とともに当日の午後に出港した。沼風は翌日早朝までに宮城県の女川に着き、救援にあたった。[2]。後続の敷設鑑厳島が6日に釜石に到着すると、同艦から物資を受け取って7日に女川に移送した[3]
太平洋戦争では、主として北方において海上護衛、哨戒活動に参加。
1943年(昭和18年)12月15日、15隻の船団を護衛し高雄を出港し門司を目指した。船団護衛中 12月18日、沼風は『敵潜水艦ヲ発見』を打電した。21時に『爆雷攻撃中』と打電後、沖縄南東海域において米潜水艦「グレイバック」(USS Grayback, SS-208)による雷撃での反撃により12月19日の早朝、北緯26度29分、東経128度26分にて戦没した。この際、第1駆逐隊司令渡辺保正大佐、山下喜義艦長、香月武彦砲術長、亀卦川運七水雷長以下乗員173名全員が死亡した。
翌1944年(昭和19年)2月5日、沼風は除籍された。
歴代艦長
※『艦長たちの軍艦史』235-236頁、『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』による。階級は就任時のもの。
艤装員長
- 柳沢恭亮 中佐:1922年4月15日[4] - 1922年6月10日[5]
艦長
- 柳沢恭亮 中佐:1922年6月10日[5] - 1922年11月10日
- (心得)大久保義雄 少佐:1922年11月10日[6] - 1923年6月30日[7]
- (心得)倉田七郎 少佐:1923年6月30日[7] - 1923年12月1日[8]
- 倉田七郎 中佐:1923年12月1日[8] - 1924年11月10日[9]
- 郷田喜一郎 少佐:1924年12月1日 - 1925年12月1日
- 日台虎治 少佐:1925年12月1日 - 1926年12月1日
- 帖佐敬吉 少佐:1926年12月1日 - 1927年12月1日 ※1927年5月28日より予備艦
- 五藤存知 少佐:1927年12月1日 - 1928年7月11日[10]
- 吉田庸光 中佐:1928年7月11日 - 1928年12月10日
- 友成佐市郎 少佐:1928年12月10日 - 1929年11月15日
- 高間完 少佐:1929年11月15日 - 1931年12月1日
- 崎山釈夫 少佐:1931年12月1日 - 1932年2月12日[11]
- 田原吉興 少佐:1932年2月12日 - 1933年5月1日[12]
- 今里博 少佐:1933年5月1日 - 1933年11月1日[13]
- 緒方勉 少佐:1933年11月1日[13] - 1934年10月22日
- 柴勝男 少佐:1934年10月22日 - 1935年2月25日[14]
- 村上暢之助 少佐:1935年2月25日 - 1935年11月15日
- 前田直 少佐:1935年11月15日 - 1936年12月1日
- 近野信雄 少佐:1936年12月1日 - 1937年12月1日
- 福岡徳治郎 少佐:1937年12月1日 - 1938年12月15日 ※同日より予備艦
- (兼)高島鉄郎 少佐:1938年12月15日[15] - 1939年4月8日[16]
- (兼)宮内新一 少佐:1939年4月8日[16] - 1939年5月15日[17]
- 池田暎 少佐:1939年5月15日 - 1940年2月3日
- 竹内一 少佐:1940年2月3日 - 1940年10月15日[18]
- 前川万衛 少佐:1940年10月15日 - 1941年10月1日[19]
- 山上亀三雄 少佐:1941年10月1日 -
- 古要桂次 少佐:1942年11月15日 -
- (兼)脇田喜一郎 大尉:1943年5月17日 - 1943年6月2日
- 山下喜義 少佐:1943年6月2日 - 1943年12月18日戦死
脚注
参考文献
- 『丸スペシャル』第51号 日本の駆逐艦Ⅱ、潮書房、1981年。
- 伊藤大介「昭和三陸津波と軍隊」、山本和重・編『北の軍隊と軍都』(地域の中の軍隊1 北海道・東北)、吉川弘文館、2015年。
- 外山操『艦長たちの軍艦史』光人社、2005年。 ISBN 4-7698-1246-9
- 海軍歴史保存会編『日本海軍史』第7巻、第9巻、第10巻、発売:第一法規出版、1995年。