浄光院(じょうこういん、? - 天正9年6月15日(1581年7月15日))は、戦国時代の女性で第5代古河公方足利義氏の妻。実名は不詳。法号は浄光院殿円桂宗明大禅定尼。
人物
父は相模国の戦国大名北条氏康。母は長塚孝や黒田基樹の研究から、菩提寺の宗派の検討から庶出であったこと、古河公方家の正妻は嫡出子の体裁をとるのが適切であるため、婚姻にあたっては瑞渓院と養子縁組をした(可能性が高い)と推測している。
長女足利氏姫(徳源院殿)が天正2年(1574年)生まれ、長男梅千代王丸が天正4年(1576年)生まれ、次女が天正7年(1577年)生まれと見られているため、天文19年(1550年)から永禄3年(1560年)頃の間と推測されている。婚姻時期は義氏の母の芳春院殿が、死去する永禄4年(1561年)まで「御台」と称されていて、その死去後、元亀2年(1571年)に浄光院殿が「御台」と称されているので、義氏の動向も勘案すると永禄12年から元亀3年頃と推測されている[注釈 1]。
父の死去に伴い、瑞渓院とともに自らの逆修供養(生前供養)を行っている。
天正9年(1581年)6月15日死去。氏姫以外は早世したという。
脚注
注釈
- ^ 黒田は生年を弘治元年(1555年)に推測し、婚姻の契機を義氏が公方領国への復帰を果たした元亀元年が最も相応しいと考えている。
出典
参考文献