清水 紫琴(しみず しきん、1868年1月(慶応3年12月)下旬 - 1933年(昭和8年)7月31日)は、明治期の女性作家、自由民権運動の女性活動家。出生届出は1868年1月。
生涯
出身地は岡山県[1]、出生地は京都府[2]。本名は清水豊子、筆名は生野ふみ子、つゆ子[3]。戦前の興信録では名を「トヨ」としているものもある[1]。
京都府立第一高等女学校卒。1885年(明治18年)、自由民権派の弁護士・岡崎晴正と結婚[2]。晴正とともに自由民権運動に携わるが[2]、晴正は結婚前から交際していた女性を紫琴と結婚後も妾として囲っていたため[2]、1888年(明治21年)自由民権運動家でありながら晴正と異なり男女同権の立場を取っていた植木枝盛と出会い[2]、その後は女権運動に携わるようになる[2]。男女同権の立場から一夫多妻や二重結婚を否定するようになり[2]、1889年(明治22年)晴正と離婚[2]。翌1890年(明治23年)『女学雑誌』記者となり[2]、翌1891年(明治24年)、「こわれ指環」で文壇に登場[2]。この頃自由党所属の政治家・自由民権運動家である大井憲太郎によって妊娠させられ正式に結婚しないまま出産し[2]、その子供を兄の養子とした[2]。1892年(明治25年)、農芸化学者の古在由直と結婚し[4]、古在紫琴の名で女性作家として活動したが、1901年(明治34年)、「夏子の物思ひ」以後、筆を絶つ[2]。作家の山口玲子は『泣いて愛する姉妹に告ぐ - 古在紫琴の生涯』(草土文化、1977年)を上梓している。墓所は青山霊園(1ロ20-40)。
主な作品
- 『こわれ指環』(1891年)
- 『したゆく水』(1898年)
- 『移民学園』(1899年)
- 『夏子の物思ひ』(1901年)
- 『紫琴全集』(1983年) - 次男・古在由重の編纂により発行。
家族・親族
父親の清水貞幹は漢学・国学に通じた人物で、1870年(明治3年)に備前国和気郡片上村(現.備前市)より一家で京都に転居し[5][6]、1881年(明治14年)まで京都府庁勧業課などに勤務[7]、舎密局で化学製品の実験製造なども担当した[8]。妻の留以との間に6人の子をもうけ、豊子はその三女で、姉2人兄2人妹1人がいる[8]。
最初の夫・岡崎晴正は岩手県出身の免許代言人で、免許代言人制度が誕生した翌年の1877年(明治10年)に免許取得[9][10]。全国各地の代言人は法律の専門知識を活かして事件の解決に取り組むとともに、盛んに政談演説会を開き、日本の自由民権運動・政党運動をリードしたが、岡崎も1880年(明治13年)に盛岡市内の芝居小屋で開かれた「政談演説討論会」で他の免許代言人らとともに「国会は是や否や」を巡る討論に参加している[10]。のちに奈良の代言人中心の知識人グループ「興和会」(寧良交諭会)の中心的メンバーとなり、1887年(明治20年)には妻の紫琴とともに奈良瓦堂劇場に二千人を集めた演説会に登壇するなど、奈良民権家、大同団結運動派の人々と活動し、興和会発行の『興和之友』の特別寄稿家でもあった植木枝盛と紫琴が知り合うきっかけとなった1888年(明治21年)の懇親会にも同席していた[11][12]。紫琴との間に男児をもうけたが、結婚4年後の1889年(明治22年)に離婚[13]。
2人目の夫・古在由直との間に4男1女をもうけるが[4]、三男と長女は夭折[4]。長男・由正は東洋史学者・幣原坦の次女・澄江と結婚[1][14]。次男・由重は哲学者[4][15]。天文学者の古在由秀は由正・澄江夫妻の長男であり[1][15][16]、農学者の古在豊樹は由重の子なので、由秀と豊樹はともに紫琴の孫にあたる。
大井憲太郎との子・清水家邦(1891年生)は紫琴の兄・清水謙吉の養子となったが1901年に謙吉が亡くなり、祖父貞幹が面倒をみたのち、小山慎平(貞幹の弟子で紫琴の姉・貞の夫。倉敷町初代町長)に育てられ、岡山商業高校(現・岡山県立岡山東商業高等学校)、慶應義塾理財科を卒業し、古在家とも親しく交流があった[17][18][19]。大学卒業後はチュコスロバキアでの外交関係その他の職についた[20]。
系譜
参考文献
関連項目
- 福田英子 - 同時期の女性活動家として親しくしていたが、大井憲太郎を巡って疎遠となり、福田はのちに自著『妾の半生涯』に「泉富子(変名)」の章を設けて紫琴を誹謗した[21]。
脚注・出典
- ^ a b c d 『人事興信録 第9版』人事興信所、1931年6月23日発行、コ73頁。
- ^ a b c d e f g h i j k l m 清水豊子・紫琴 - 「女権」の時代 - (PDF) - 文教大学 文学部紀要 第17-1号内のページ。
- ^ 林正子「清水紫琴の<女権>と<愛恋> :明治の<女文学者>,その誕生の軌跡」『岐阜大学国語国文学』第23号、岐阜大学、1996年3月、23-39頁、ISSN 02863456、NAID 110000147264。
- ^ a b c d 情報:農業と環境 No.53 - 農業環境技術研究所公式サイト内のページ。
- ^ 『明治女学校の世界: 明治女学校と「女学雑誌」をめぐる人間群像とその思想』藤田美実、青英舎, 1984, p94
- ^ 『山陽路の女たち, 第 1 巻』広島女性史研究会,ドメス出版, 1985, p34
- ^ 『明治前期女流作品論: 樋口一葉とその前後』和田繁二郎, 桜楓社, 1989, p283
- ^ a b 『現代女性文学辞典』村松定孝, 東京堂出版, 1990, p102
- ^ 『近代岡山の女たち』永瀨清子, ひろたまさき, 岡山女性史研究会, 三省堂, 1987, p53
- ^ a b 谷正之「弁護士の誕生とその背景(5) : 明治時代中期の自由民権裁判と免許代言人」『松山大学論集』第22巻第1号、松山大学総合研究所、2010年4月、315-441頁、ISSN 09163298、NAID 110009577986。
- ^ 中山和子「清水紫琴研究」『明治大学人文科学研究所紀要』別冊10、明治大学人文科学研究所、1990年3月、5-36頁、ISSN 0543-3894、NAID 120005258279。
- ^ 『日本語.日本文化研究, 第 2号』「大阪外国語大学日本語学科, 1992.11 , 「清水紫琴の家族観と生活改善思想」岩堀容子/p25~38
- ^ 『日本近代女性文学論: 闇を拓』渡邊澄子、世界思想社, 1998
- ^ 『人事興信録 第9版』、シ22頁。
- ^ a b 新・未知への群像 古在由秀氏 2 - インターネットアーカイブ内のページ
- ^ 新・未知への群像 古在由秀氏 1 - インターネットアーカイブ内のページ
- ^ 村田容常「紫琴と由直 : 女性先駆者と反骨農芸化学者夫婦の足跡と限界」『研究紀要』第60号、お茶の水女子大学附属高等学校、2015年6月、1-20頁、ISSN 1340-5934、NAID 120005652877。
- ^ 『泣いて愛する姉妹に告ぐ: 古在紫琴の生涯』山口玲子、草土文化, 1977、p65
- ^ 『近代史の歩み』加藤文三、地歴社, 1984, p56
- ^ 『「破戒」とその周辺: 部落問題小說研究』川端俊英, 文理閣, 1984 p83
- ^ 妾の半生涯 福田英子、岩波書店、1958年(昭和33年)、青空文庫
外部リンク