琵琶法師琵琶法師(びわほうし)は、平安時代から見られた琵琶を街中で弾く盲目の僧。琵琶を弾くことを職業とした盲目僧の芸人で、平安時代中期におこった[注釈 1]。 概要日本の琵琶は古代のアジア大陸よりもたらされたものであるが、その系統には唐から奈良時代および平安時代にもたらされた器楽の琵琶楽(雅楽、芸術音楽)と、それと同時代ないしそれに先んじてもたらされた声楽の琵琶楽(盲僧琵琶、宗教音楽)との2つがある[1]。琵琶法師は、後者に属し、宗教音楽としての盲僧琵琶を担った。なお、盲人の琵琶法師(盲僧琵琶)から宗教性を脱した語りものを「くずれ」という[2]。 仏説を語る琵琶法師は天台宗などに属する低級の宗教者であり、仏説座頭、地神経座頭などと呼ばれ、地鎮祭や竈祓いで地神経や荒神経を行った[3]。僧侶が琵琶を弾く理由は、『法華経』方便品第二に、琵琶などの楽器を奏で仏を供養する「妙音成仏」の思想が説かれているからである(画像参照)[4]。天台宗系の玄清法流の開祖・玄清法印(766年-823年)は、17歳で眼病を患い失明したあと、盲僧の祖であるインドの阿那律尊者にならい盲僧琵琶の一派を開いた[5]。 鎌倉時代には『平家物語』を琵琶の伴奏に合わせて語る平曲が完成した[2]。この時代には、主として経文を唱える盲僧琵琶と、『平家物語』を語る平家琵琶(平家座頭)とに分かれた。琵琶法師のなかには「浄瑠璃十二段草子」など説話・説経節を取り入れる者がおり、これがのちの浄瑠璃となった。 平家座頭はその当初から廻国の芸能者であり、中世には文化人の伝手や紹介状を頼りに、各地の有力な大名の屋敷のあいだを芸を披露して回った[3]。絵巻物などに登場する平家座頭は、多くの場合弟子を連れての二人旅となっている。 脚注注釈参照参考文献
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