田中 寅蔵(たなか とらぞう、天保12年(1841年) - 慶応3年4月15日(1867年5月18日))は、新選組隊士(撃剣師範)。田中寅三ともいう。
加賀国で生まれる。元治元年(1864年)10月頃に新選組に入隊。剣の腕前が高く、隊内では撃剣師範となった。
伊東甲子太郎の御陵衛士に加わろうとするが拒絶される。本満寺に隠れるが見つかり、慶応3年(1867年)4月15日、切腹となった。享年27。墓は光縁寺にある。
辞世の句
- 四方山の 花咲き乱る 時なれば 萩も咲くさく 武蔵野までも
この句は、長州藩(萩)を支持し、武蔵国出身の近藤・土方らを批判した句と言われている。田中の辞世之句は他にも数点、残っていることが確認されている。
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