石川朗石川 朗(Akira Ishikawa, いしかわ あきら、1965年6月16日 - )は、日本の元レーシングドライバー。工学院大学卒[1]。エアーズモータースポーツ(神奈川県綾瀬市)代表。大阪府出身。 経歴12歳の時にレーシングカートを開始。大学進学後の1987年より入門フォーミュラのFJ1600に参戦し、1988年に筑波FJ1600Aシリーズチャンピオンに輝いた。 1989年、全日本F3選手権にステップアップ。1990年よりカプコンのスポンサードを得て参戦体制が整うと、安定した速さを発揮し6位以内入賞を積み重ねた。1991年第4戦筑波ではポール・ポジションを獲得し[2]決勝でも3位表彰台を獲得するなど上位の常連となり年間ランキング8位となる。1992年は成績をさらに向上させ、決勝レース最高位2位2回を含む表彰台を3度獲得し、シリーズランキング4位となった。この成績によりランキング上位者に与えられる1992年マカオグランプリF3出場権を獲得し参戦した。 1993年より国内最高峰カテゴリーの全日本F3000選手権に参戦。しかし1994年はフォーミュラのシートを確保できず、何とかシートを獲得したいという熱意と、「イコールコンディションで、レベルの高いレースをしたい」という希望から、石川はアメリカのインディ・ライツ選手権に着目。インターネットがまだ普及する前であり、自らタスマン・モータースポーツなど参戦チームにFAXでコンタクトを図り、アマルフィ・レーシングと交渉[3]。フロリダ州セブリングに渡りテストを受け、チームから指定されたタイムより1秒速いタイムを出すなど実力を認められたが、年間6000万円という参戦費用がネックとなった[3]。チーム側も石川のためにスポンサーを見つけると言ってくれたが、結果1戦のみのスポット参戦となり、10位完走の結果を残した。以後も国内のF3000チームとも交渉は続けられ、1998年にフォーミュラ・ニッポンにフル参戦した。 ツーリングカーレースでは1994年よりN1耐久(現・スーパー耐久)に参戦、SUPER GTの前身である全日本GT選手権には1995年に参戦開始し1999年までフル参戦した(2002・2004年にスポット参戦)。 2000年代以後はS耐をメインに参戦し、2008年までスポット参戦。 神奈川県綾瀬市にカーショップ・レーシングガレージ『エアーズ (AIRS = Akira Ishikawa Racing & Sports)』を創設。S耐やもてぎJOY耐など参加型レースに車をチューンナップして参戦し、レースへの参加希望者を支援している。 レース戦歴
全日本F3選手権
マカオグランプリ
全日本F3000選手権
インディ・ライツ選手権
全日本GT選手権
FIA-GT選手権
N1耐久/スーパー耐久
関連項目脚注出典
外部リンク
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