第5独立親衛戦車旅団 (ロシア陸軍)
第5独立親衛戦車旅団(だい5どくりつしんえいせんしゃりょだん、ロシア語: 5-я отдельная гвардейская танковая бригада)は、ロシア陸軍の旅団。第36諸兵科連合軍隷下。 概要第二次世界大戦1942年4月19日、第二次世界大戦の影響に伴い、赤軍第24戦車軍団としてロシア・ソビエト連邦社会主義共和国で創設された[1]。 1942年4月から独ソ戦に投入され、枢軸国に勝利し、赤旗勲章、2等スヴォーロフ勲章、名誉称号「親衛隊」、「タツィンスカヤ」を授与され、第2親衛戦車軍団に改称された[2]。 1945年7月、部隊縮小に伴い、第2親衛戦車師団に改編された[2][3]。 冷戦期1947年、エストニア・ソビエト社会主義共和国に移駐した[3]。 1953年、ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国レニングラード州に移駐した[3]。 ロシア陸軍→「デバルツェボの戦い」も参照
1992年5月、ソビエト連邦の崩壊とロシアの独立で創設されたロシア陸軍に編入した。 2001年3月、第3742親衛中央戦車予備基地に改編され、2005年に解隊された[3]。 2009年、第5独立親衛戦車旅団としてブリヤート共和国で再編された。 2015年2月、ドンバス戦争で東部ドネツィク州デバルツェボ占領に貢献した[4]。 2016年12月、シリア内戦に投入され、ルスラン・ガリツキー旅団長が戦死した[5]。 ロシアのウクライナ侵攻北部・キーウ戦線→「キーウ攻勢 (2022年)」および「イルピンの戦い」も参照
2022年2月24日、ロシアのウクライナ侵攻でベラルーシに配備され、キーウ方面で攻勢を開始したが、3月に第2戦車大隊のタロ・アバタエフ大隊長、ロケット砲大隊のドミトリー・ドルミドントフ大隊長が戦死して撃退された。第2戦車大隊がキーウ西のジトーミル方面で無抵抗の民間人を射殺する戦争犯罪を犯した[6][7]。 北東部・イジューム戦線→「イジュームの戦い (2022年)」および「2022年ウクライナの東部反攻」も参照
2022年4月、北東部ハルキウ州イジューム地区に再配置され、友軍を火力支援したが、9月にウクライナ軍の攻勢でハルキウ州の大部分が解放されたため、そのまま殺られたか退却したとみられる[8][9]。 東部・南ドネツク戦線→「ヴフレダールの戦い」および「2023年ウクライナの反転攻勢」も参照
2023年2月、東部ドネツィク州ヴォルノヴァーハ地区に再配置され、ヴフレダール方面、ヴェリカ・ノヴォシルカ方面の友軍を攻守にわたって火力支援した[10]。 編制
出典
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