第6回ブリーダーズゴールドカップ1994年10月10日に札幌競馬場で開催された第6回ブリーダーズゴールドカップについて記述する。 競走施行時の状況中央・他地区招待馬中央からは6頭が招待され、この年もマキノトウショウ、バンブーゲネシス、カリブソング、ヤグライーガー、スタビライザーと強力布陣であった[1] [2]。 1番人気は根本康広騎乗の関東馬マキノトウショウ[1]。元々は芝を走っており[3]、デビュー何戦かはクラシックの「秘密兵器」的存在であった。新緑賞では牝馬に馬体をぶつけられ、怯んで2着に敗退[3]。NHK杯9着の後は夏に条件戦を連勝し、上がり馬で臨んだセントライト記念4着、結局クラシックには1戦も出られなかった[3]。暮れのディセンバーステークスは逃げてセキテイリュウオーの2着に粘り[4]、明けてこの年は金杯(東)で伏兵ヒダカハヤトの逃げ切りを許すも、ステージチャンプに次ぐ3着[5]。その後は2月の白富士ステークスに勝ったのみで、夏の北海道シリーズからダートに転向[3]。7月のタイムス杯、9月のシーサイドオープンでライブリマウントやスタビライザーを子供扱いにして圧勝した[6] [7] [3]。 2番人気は武豊騎乗で[1]、武邦彦厩舎所属の関西馬バンブーゲネシス[8]。4歳時の1992年は芝を走り、重賞にも3度挑戦し、最高はミホノブルボンが圧勝した京都新聞杯で離された4着[9]。長期休養明けの1993年からダート路線に転向し、4戦して1勝、2着1回、3着2回と堅実に適性の高さを表す[9]。1994年はさらに本格化し、4連勝で第1回マーチステークスを制した[9] [10]。武豊は1991年・第3回のマルブツスピーリア以来のブリーダーズゴールドカップ参戦となった。 3番人気は古豪9歳馬カリブソング[1]。1990年にはフェブラリーハンデキャップを制し、ウインターステークスでもナリタハヤブサに2着に入ってJRA賞最優秀ダートホースに輝いた[11]。芝でも金杯(東)と目黒記念を制しており、天皇賞(秋)では繰り上がりながらプレクラスニーの2着に入った実力馬[11]。この年は勝利こそまだ無いものの、地方招待のテレビ愛知オープンでトミシノポルンガの3着に入るなど健在ぶりを示していた[12]。 4番人気ヤグライーガー[1]は今回がダート転向後初めての重賞挑戦[13]。前走の摩耶ステークスは後方一気の追い込みで、前年のブリーダーズゴールドカップ勝ち馬のヒデノリード、バンブーゲネシス、古豪ミスタートウジンらに勝利[14]。前々走から熊沢重文が手綱を任されており、今回も武豊がバンブーゲネシスに騎乗するため、熊沢とのコンビになった[13]。 5番人気スタビライザー[1]はこの年の帝王賞馬[15]。第1回マーチステークスでは逃げる牝馬システィーナを終始2番手マーク、直線で先頭に立つシーンも見られたが、譲らず抵抗するシスティーナとの叩き合いになり、最後はバンブーゲネシスにまとめて交わされた[10]。初のナイター開催になった帝王賞はゴール前の大激戦を制し、2着に15番人気ミスタートウジンで大波乱となった[15]。1番人気は初ダートのフジヤマケンザンで大差負けの最下位で、これが最後のダート挑戦であった[15]。 6頭中5頭が上位人気を独占したが、11番人気はロングタックル[1]。4歳時には東京優駿に出走したこともある[16]。 地方他地区からは招待されなかった[1]。 地元馬迎え撃つ地元勢の大将格はササノコバン。父スズカコバンは宝塚記念勝ちはあるものの、種牡馬としては中央重賞勝ち馬を輩出していない[2]。母の父タニノチカラ、祖母の父シンザン[2]。西本博厩舎からデビューし、4戦目にようやく初勝利[2]。3歳時は10戦3勝とそれほど目立った存在ではなかったが、使い込まれながら成長していき、4歳6月の王冠賞から北海優駿まで4連勝で二冠馬となり、4歳ながら挑んだブリーダーズゴールドカップで8着[2]。その後は堂山芳則厩舎に移籍し、生涯初の道外遠征となった水沢のダービーグランプリでミスタールドルフの4着に善戦した[2]。常に脚部不安を抱えて万全な仕上げができない中で、8月にはステイヤーズカップを制していた[2]。当日は6番人気であった[1] [2]。 牝馬ながら北海優駿を制したクラシャトル[17]、転入初戦の札幌日経オープンでホクトベガの2着に入ったモガミサルノ[18]も参戦[1]。この時は単勝133.3倍、10番人気という低評価を覆し、同い年のホワイトストーン(3着)に1/2馬身、先着する激走であった[19]。このモガミサルノにヤマトオウジと林正夫厩舎が2頭出しであった[1]。 出走馬と枠順
競走内容カリブソングがスタートから逃げを打ち、マキノトウショウを競り落としてそのまま完勝かと思われる中、馬群から1頭だけカリブソングに猛然と迫ってきたのがササノコバンであった。地元馬初制覇を期待する大歓声に後押しされて末脚を伸ばし、3/4馬身まで詰め寄ったところがゴール板。惜しくも届かなかったが、健闘の2着であった[2]。マキノトウショウ3着、バンブーゲネシスは距離が長すぎたのか4着、帝王賞馬スタビライザーは5着。中央勢の掲示板独占をササノコバンが阻止した形となった。 競走結果
配当(払戻金)→配当については投票券 (公営競技)を参照
エピソード競走にまつわるエピソード
その他脚注
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