第9装甲師団「ハインツ・ホフマン」 (ドイツ語 : 9. Panzerdivision „Heinz Hoffmann“ )は、国家人民軍 地上軍 (東ドイツ陸軍)が有した師団の1つである。
歴史
第39回建国記念パレードに参加した第9師団のT-72戦車(1988年)
ドイツ民主共和国 (東ドイツ)では兵営人民警察 という形での再軍備 が始まった段階で将来的な装甲師団の設置を計画しており、ソ連邦からの要望もそれを後押しした。
1956年9月、エゲジーンに駐屯するエゲジーン機械化人民警察機動隊 (Mechanisierte Volkspolizeibereitschaft Eggesin) を母体として、第9装甲師団の編成が行われた。部隊構成はおおむねソ連邦軍戦車師団を元に、戦闘ヘリコプター部隊を廃止すると共に自動車化歩兵部隊を削減したもので、平時編成では将兵8,750人を定員とした[ 1] 。
1980年、ポーランドで広まる政情不安に対抗する形でワルシャワ条約機構は軍事介入を計画した。第9装甲師団もこれに参加することとなり、部隊の体制を「戦争の危険に備えた戦闘即応 (ドイツ語版 ) 」(Gefechtsbereitschaft bei Kriegsgefahr)に移行した。その後、1981年のポーランドにおける戒厳令発布 を経て、1982年には解除される[ 2] 。
1986年2月24日、第9装甲師団に国防相カール=ハインツ・ホフマン 将軍の名が冠される。
1990年10月2日、共和国の崩壊 に伴い国家人民軍の全戦力は解体された。第9装甲師団の装備および人員の一部は連邦陸軍 が設置した連邦軍東部司令部 (ドイツ語版 ) の指揮下に入った。
組織
下級部隊 (1987年時点)
部隊名
称号
駐屯地
第21戦車連隊 Panzerregiment 21
ヴァルター・エンパッハー (ドイツ語版 )
シュペヒトベルク (ドイツ語版 )
第22戦車連隊 Panzerregiment 22
ゾーヤ・コスモデミヤンスカヤ
シュペヒトベルク
第23戦車連隊 Panzerregiment 23
ユリアン・マルフレフスキ
カルピーン (Karpin)
第9自動車化狙撃兵連隊 Mot.-Schützenregiment 9
ルドルフ・レンナー (ドイツ語版 )
ドレーゲハイデ (Drögeheide)
第9砲兵連隊 Artillerieregiment 9
ハンス・フィッシャー (Hans Fischer)
カルピーン
第9ロケット/砲兵指揮管理中隊 Führungsbatterie Chef Raketen/Artillerie 9
第9高射ロケット連隊 Fla-Raketen-Regiment 9
ルドルフ・デリンク (ドイツ語版 )
カルピーン
第9防空指揮管理中隊 Führungsbatterie Chef Truppenluftabwehr 9
第9ロケット支隊 Führungsbatterie Chef Truppenluftabwehr 9
オットー・ヌシュケ (ドイツ語版 )
シュペヒトベルク
第9ミサイル砲兵支隊 Geschosswerferabteilung 9
フリードリヒ・エーベルト
カルピーン
第9工兵大隊 Pionierbataillon 9
カルピーン
第9通信大隊 Nachrichtenbataillon 9
アドルフ・ビュツェク (Adolf Bytzeck)
エゲジーン
第9物資管理大隊 Bataillon Materielle Sicherstellung 9
ロベルト・シュタム (ドイツ語版 )
ドレーゲハイデ
第9修復大隊 Instandsetzungsbataillon 9
パウル・デッサウ
ドレーゲハイデ
第9化学防護大隊 Bataillon Chemische Abwehr 9
ミヒャエル・ニーダーキルヒナー (ドイツ語版 )
カルピーン
第9衛生大隊 Sanitätsbataillon 9
ドレーゲハイデ
第9補充連隊 Ersatzregiment9
第9野戦製パン中隊 Feldbäckereikompanie 9
グムニッツ (Gumnitz)
第9師団付集積所 Divisionslager 9
グムニッツ
装備
T-55戦車
SS-21ミサイル発射機
師団は結成の時点で当時最新鋭のT-54 戦車の配備が行われていたが、1964年に更新されるまでは旧式のT-34 戦車も運用されていた[ 3] 。1978年からT-72 戦車の配備が始まった。この年に受領した35両のうち2両のみがT-72M1で、残りはT-72だった。また、このうち31両が第23戦車連隊第4戦車大隊に配備され、1両がグローセンハイン に送られ、3両がカルピーンの下士官学校で戦車長や操縦手の訓練の為に使用された。
装甲兵員輸送車としてはBTR-40 を当初運用し、のちにソ連邦から購入したBTR-60 やBTR-70 、BMP-1 などが配備された。BMP-2 の調達も計画されていたが、当時アフガン侵攻 に従事していたソ連邦軍への供給が優先された為、第9装甲師団への配備は大幅に遅れた。
1990年の解散時には次の装備を保有していた。
SS-21 (ドイツ語版 ) ミサイル発射機4両
T-72戦車322両
BMP装甲車146両
BTR装甲車42両
野砲およびロケット発射機349門
MT-55架橋戦車15両[ 4]
歴代師団長
着任時の階級
氏名
任期
大佐(Oberst)
ラインホルト・タッペルト (Reinhold Tappert)
1956年9月15日 - 1959年10月15日
大佐
エーリヒ・ペーター (ドイツ語版 )
1959年10月15日 - 1960年5月14日
中佐(Oberstleutnant)
クルト・ランゲ (ドイツ語版 )
1960年7月31日 - 1964年7月31日
中佐
ロルフ・カッピス (Rolf Kappis)
1964年8月1日 - 1968年8月31日
大佐
ヴァルター・クリスマン (ドイツ語版 )
1968年9月1日 - 1973年8月31日
大佐
マンフレート・ゲーメルト (ドイツ語版 )
1973年9月1日 - 1977年10月20日
大佐
ホルスト・ズュラ (ドイツ語版 )
1977年10月 - 1982年8月31日
少将(Generalmajor)
フランツ・エルトマン (ドイツ語版 )
1982年9月1日 - 1987年10月31日
大佐
ハンス=クリスティアン・ライヒェ (ドイツ語版 )
1987年11月1日 - 1989年10月31日
大佐
カール=ハインツ・マルシュナー (Karl-Heinz Marschner)
1989年11月1日 - 1990年10月2日(解散)
脚注
^ Wilfried Kopenhagen: Die Landstreitkräfte der NVA , Motorbuch-Verlag, Stuttgart 2003, ISBN 3-613-02297-4 , S. 40
^ Henry Köhler: Panzer gegen Polen, Honeckers Geheimplan gegen Solidarnosc , MDR , Deutschland 2010
^ Wilfried Kopenhagen, S. 33
^ Wilfried Kopenhagen, S. 179
参考文献
Klaus Froh, Rüdiger Wenzke : Die Generale und Admirale der NVA. Ein biographisches Handbuch. 5. durchgesehene Auflage. Ch. Links Verlag, Berlin 2007, ISBN 978-3-86153-438-9 (Eine Publikation des Militärgeschichtlichen Forschungsamtes Forschungen zur DDR-Gesellschaft ).
Guntram König: Das große Buch der Nationalen Volksarmee. Geschichte, Aufgaben, Ausrüstung. Das Neue Berlin, Berlin 2008, ISBN 978-3-360-01954-7 .
Wilfried Kopenhagen: Die Landstreitkräfte der NVA. Motorbuch-Verlag, Stuttgart 2003, ISBN 3-613-02297-4 (Motorbuch-Verlag spezial ).
Klaus Naumann (Hrsg.): NVA. Anspruch und Wirklichkeit. Nach ausgewählten Dokumenten. 2. Auflage. Mittler, Hamburg u. a. 1996, ISBN 3-8132-0430-8 (Offene Worte ).
Walter J. Spielberger, Jörg Siegert, Helmut Hanske: Die Kampfpanzer der NVA. Motorbuch-Verlag, Stuttgart 2008, ISBN 3-613-01759-8 (Militärfahrzeuge 16).