若宮八幡宮 (高知市)
若宮八幡宮(わかみやはちまんぐう)は、高知県高知市にある神社。旧社格は県社。社紋は「まり巴」。 祭神歴史鎌倉時代の歴史書『吾妻鏡』の記述によれば、源頼朝は平氏を討ち果たした文治元年(1185年)に京都六条にあった祖父源為義邸跡に石清水八幡宮を勧請し六條若宮八幡宮を創建した。この時、土佐国吾川郡一円を六條若宮八幡宮の神領とし、鎮護のために同年12月30日、当地にも若宮八幡宮を分祀したとされている。 戦国時代の永禄3年(1560年)長宗我部元親は初陣に臨み、若宮八幡宮馬場先に陣を構えた。この時に初陣を勝利で飾った。以来、元親は合戦のたびに当社で戦勝祈願を行うようになった。 江戸時代に入り山内氏が土佐藩主となって以後も崇敬され藩主祈願八社の一つとされた。 明治時代になり近代社格制度が制定されると、明治6年(1873年)郷社に列した。更に昭和5年(1930年)には県社となった。 現在は高知市南部(長浜、御畳瀬、浦戸、横浜)の総鎮守となっている。 境内
摂末社
主な祭事神田祭別名「どろんこ祭り」。早乙女が男性に泥を塗る祭である。4月第1土曜日より3日間開かれる。 氏子を中心に約300名の男女が浴衣姿で集まり、早苗と白米をおにぎり状にした「かこ」と呼ばれる神饌を供えて豊作を祈願する。その後、氏子から選ばれた12名の早乙女により外苑の御神田で田植えが行われる。田植えの後、早乙女が周囲にいる男性の顔や手足に泥を塗る。男性は逃げても構わないが捕まれば抵抗できないしきたりになっている。泥を塗られると無病で夏を乗り切れると言われている。 起源の伝承の一つとして、長宗我部氏の時代に疫病が流行った。若宮八幡宮に神田を奉納し疫病退散を祈願すると静まった。神田奉納の話は『長宗我部地検帳』に記載されている。 御神幸祭別名「おなばれ」とも呼ばれる古式に則った御神幸式である。神輿とその前後に続く祭列が練り歩く。11月6日の秋季例祭で行われる。 行列は、お供衆、先祓い、神輿の順に進む。お供衆は、先頭を天狗面を被った猿田彦が進む。次に革籠が続く。革籠の中身は誰も確認したことがないが、言い伝えで源希義の遺品が入っているという。その後を土佐藩時代の風俗をした「お鉄砲組」が進む。先祓いとして、神輿の前を氏子から選ばれた10名の「練り子」と呼ばれる少年が白粉を塗り女装して木製の薙刀を持って舞いながら進む。神輿が神社に還御すると「行司ナバレ」という古式が社殿の前で奉納される。 現地情報所在地 交通アクセス
参考文献
外部リンク
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