装飾古墳装飾古墳(そうしょくこふん)は、日本の古墳のうち、内部の壁や石棺に浮き彫り、線刻、彩色などの装飾のあるものの総称で、墳丘を持たない横穴墓も含まれる。大半が九州地方、特に福岡県、熊本県に集中している。福岡県桂川町の王塚古墳(国の特別史跡)、熊本県山鹿市のチブサン古墳などが有名である。 令和元年に確認された情報では、5世紀から7世紀ごろに九州の北・中部に集中して作られた。全国で723例ある[1]。九州に多い理由として、九州では飾られた死者として会葬者向けに作られ、近畿では隠されて作られる地域性と死生観の改革が仮説として指摘されている[2]。 概要装飾古墳は、日本全国に約600基があり、その半数以上に当たる約340基が九州地方に、約100基が関東地方に、約50基が山陰地方に、約40基が近畿地方に、約40基が東北地方にあり、その他は7県に点在している。[3] 古墳時代初期から装飾が施されていた。初期には刳抜式石棺(くりぬきしきせっかん)の側面や蓋の上に、中期には組み合わせ式長持ち石棺の蓋の上面、家形石棺の蓋および棺の内側や外側、箱形石棺にも、そして、5世紀前半頃には横穴式石室にも彫刻や彩色の方法で装飾が施され、さらには石室内全体にまで及んだ。 装飾方法は、浮き彫り、線刻、彩色の3手法があり、浮き彫りや線刻に彩色するなどの併用手法を用いている。最初期の装飾手法は、彫刻が主流であり、線刻は一部で用いられ、浮き彫りが多く、彩色は赤色顔料だけである。5世紀ごろになると彫刻されたものに赤色以外の色が使用されるようになる。6世紀になると浮き彫りを基調とする彫刻がなくなり、基本的には彩色だけで文様が描かれるようになり、石室の壁全体に図柄が描かれるようになる。7世紀末から8世紀初めの奈良県高松塚古墳やキトラ古墳は、装飾古墳とは系統を異にするもので壁画古墳と呼び分けている。 装飾古墳に描かれた文様には幾何学的・抽象的な直弧文(ちょっこもん)・蕨手文(わらびてもん)・鍵手文(かぎのてもん)・円文・同心円文・連続三角文・菱形文・双脚輪状文(そうきゃくりんじょうもん)・区画文などがあるが、何を表しているのか分からない文である。次に、具象的な図柄では盾・靱(ゆぎ)・甲冑・刀・船などの武器・武具・その他の器物や人物・馬・鳥・蟾蜍(ひきがえる)・朱雀などである。人物や鳥獣には大陸文化の影響が認められる。 築造時期4世紀 - 7世紀頃に造られ、古墳時代の中では後期に位置する。 主な装飾古墳一覧国の史跡(太字)および特別史跡(★太字)を中心に、主なものを挙げる。 東北
関東
近畿中国四国九州
脚注
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