西ポモージェ県
西ポモージェ県(West Pomeranian Voivodeship (ポーランド語: województwo zachodniopomorskie, 発音 [vɔjɛˈvut͡stfɔ zaˌxɔdɲɔpɔˈmɔrskʲɛ] ( 音声ファイル)))は、ポーランド北西部の県である。県都はシュチェチン。バルト海に面している。ドイツと接していて、国内ではルブシュ県、ヴィエルコポルスカ県、ポモージェ県と接している。1999年1月1日、ポーランドの地方行政区画の改正にともない誕生した。主に旧シュチェチン県、旧コシャリン県からなり、旧ゴジュフ県、スウプスク県、ピワ県の一部も含む。 ポメラニア地方としてポーランド、デンマーク、スウェーデン、ドイツが領有権を求めて争った。第二次世界大戦まではドイツ領であった。ドイツ領時代は後ポンメルン(ヒンターポンメルン)地方と呼ばれた。オーデル・ナイセ線が国境として確定されたのに伴い、数百年ぶりにポーランド領に復帰した。 地域区分
観光地コウォブジェク→詳細は「コウォブジェク」を参照
バルト海沿岸のリゾートタウン。遅くとも6世紀にはスラヴ人の村が作られ、塩田によって塩が生産された。972年からポーランド領。ポーランド語でコウォ(Koło)は「サークル」、ブジェク(Brzeg)は「砦」を表し、コウォブジェクは「丸い形をした砦」の意味。11世紀に先住民による自治が回復したが1107年より再度ポーランド領。12世紀よりデンマーク領のちに神聖ローマ帝国領ポメラニア公国の一部となる。1255よりハンザ同盟に加盟、17世紀よりプロイセン領となりのちにドイツ帝国領。第二次世界大戦後から再びポーランド領。第二次世界大戦ではドイツ軍とソ連軍の戦い、特にドイツ海軍による艦砲射撃により市街地のほとんどすべてが破壊された。戦後ポーランド市民の手によって中世の街並みが再建された。現在は海岸沿いのサマーリゾートとして国内外から観光客がやってくる。街の公式サイト(英語・ポーランド語・ドイツ語)あり[1]。
シュチェチン→詳細は「シュチェチン」を参照
ポモージェ県の県都で、オドラ川の河口にある港湾都市。1630年代までポーランド人に近いスラヴ系のグリフィン家(Gryfici)がポメラニア公家となりこの地を統治していたが、住民のほとんどは神聖ローマ帝国から移住してきた。その後スウェーデン領、プロイセン王国領、ドイツ帝国領と変遷し、第二次世界大戦後よりポーランド領。第二次世界大戦ではドイツ軍とソ連軍との激しい戦闘で街の大半が破壊されたが、戦争が終わると歴史地区はポーランド市民により戦前の姿に復元された。シュチェチン近郊のシフィノウイシチェ(Świnoujście)からは、スウェーデンのイースタ(Ystad)、デンマークのコペンハーゲンとロンネ(Rønne)へフェリーが運航している[2]。公式サイト(英語)あり[3]。
ボルネ・スリノボ第二次世界大戦前・中は、ナチス・ドイツが、大戦後はソビエト連邦が軍事拠点とした街。特に冷戦時には、核兵器の貯蔵施設が置かれたため、地図上から消滅する秘密都市となった。2020年代、旧ソビエト時代の軍事施設が補修、解放されつつあり、観光施設として注目されている[3]。 地域区分脚注
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