豊原路子
豊原 路子(とよはら みちこ、1933年 - )は、日本の作家である[1][2][3]。女優として映画に出演もした[4][5]。旧筆名家嶋 芙美子(いえしま ふみこ)[2]。本名・出生名等不明。 人物・来歴1933年(昭和8年)に生まれる[1][3]。日本大学法学部政治経済学科を卒業後、英文タイピスト、ホステスを経験する[6]。 1958年(昭和33年)、東京ライフ社から「家嶋芙美子」名義で、最初の著書『銀座のエロス』を上梓する[2][6]。翌1959年(昭和34年)、朱雀社から、「豊原路子」名義での最初の著書『マンハント』を上梓する[1]。第二書房から、1960年(昭和35年)10月には『体当たり男性論』、翌1961年(昭和36年)8月には『体当りマンハント旅行記』を上梓している[1]。未婚の母になり、その後に世界一周旅行をし、1965年(昭和40年)には、その紀行文『出たとこ勝負 私の世界マンユウ記』(東京文芸社)を上梓した[1][6]。同年、第二書房の伊藤文學による新書シリーズ「NIGHT BOOKS」に、『体当たり男性論』、『豊原路子の体当りマンハント旅行記』(『体当りマンハント旅行記]』改題)が収録された。 1966年(昭和41年)には、同年2月19日に松竹が配給して公開された湯浅浪男監督の映画『顔を貸せ』に端役として出演、同時期に同名の自著を原作にした『豊原路子の体当りマンハント旅行』[7](監督糸文弘)を完成、同作に主演している[5]。横浜、静岡、浜松、京都、大阪、神戸でロケーション撮影を行い、同作には作家の田中小実昌も出演している[8]。同年12月、九州から東京に来た谷ナオミが豊原の助手を務めている。 作家の遠藤周作とも交流があり、1967年(昭和42年)に出版された『狐狸庵閑話 巻之2 現代の快人物』(桃源社)には、『体当りヌード・豊原路子』として紹介されている[9]。同年4月、東京・神楽坂のキャバレー「ムーンライト」で開かれた、伊藤文學の35歳の誕生日と「NIGHT BOOKS」35巻達成を祝うパーティで、豊原は羽目を外し、下半身を露出する行為に及ぶ事件を起こす[10][11]。同じころ、谷ナオミを雑誌記者を介して国映に紹介、関孝二監督の『スペシャル』(製作新日本映画、配給国映)というピンク映画に出演させ、女優デビューさせている[12]。 22年ぶりの著書である『世界の男グルメ・裏のウラ』を上梓した1987年(昭和62年)5月以降の消息はわからない。伊藤文學によれば豊原は相当の美人だといい[10]、『世界の男グルメ・裏のウラ』のカバー裏表紙には、当時の近影が掲載されている[6][13]。 ビブリオグラフィ国立国会図書館蔵書を中心とした著書、自筆原稿および掲載記事の一覧である[1]。
フィルモグラフィ
脚注
参考文献
関連項目外部リンク |